い。では御用があったら呼んでくださいませ。(退場)
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本堂から晩のお勤めの鐘が聞こえる。
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親鸞 (寝床の上にて居ずまいを正し)南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》。南無阿弥陀仏。(目をつむる)
唯円 (登場)ただ今帰りました。(手をつく)[#「(手をつく)」は底本では「(手をつく」]
親鸞 あゝ、お帰りか。
唯円 おそくなりました。
親鸞 どこへ行きました。
唯円 木屋町のほうまで行きました。
親鸞 そうか。
唯円 暇どってすみませんでした。お夕飯は?
親鸞 さっき済ませました。お前の帰るのを待とうかと思ったけれど、先に食べました。
唯円 お給仕もいたしませんで。
親鸞 いいえ。(間)お前はまだだろう。
唯円 私は今夜はほしくありませんので。
親鸞 気分でも悪いのかえ。少しでもおあがり。(唯円の顔を見る)
唯円 いいえ少しせいて歩いたからでしょう。あとでまたいただきます。
親鸞 そうかえ。気をおつけよ。お前は丈夫なたちではないのだから。
唯円 ありがとうございます。今夜はお具合は?
親鸞 もうほとんどいいのだよ。私はこうしているのがもったいないくらいだ。お前が止めなければもう床上げをしようと思うくらいだよ。
唯円 それはうれしゅうございます。しかしも少し御用心あそばしませ。大切なおからだですから。(間)あなたお寒くはありませんか。夜分はたいそう冷えるようになりましたね。
親鸞 いいや。頭がしっかりして気持ちがいいくらいだよ。
唯円 秋もだいぶ深くなりました。けさもお庭に仏様のお花を切りに出て見ましたが一面に霜が置いていました。花もすがれたのが多うございます。
親鸞 おっつけ木の薬も落ちるようになるだろう。
唯円 庫裡《くり》の裏のあの公孫樹《いちょう》の葉が散って、散って、いくら掃いても限りがないって、庭男のこぼす時が来るのですね。
親鸞 四季のうつりかわりの速いこと。年をとるとそれがことに早く感じられるものだ。この世は無常迅速というてある。その無常の感じは若くてもわかるが、迅速の感じは老年にならぬとわからぬらしい。もう一年たったかと思って恐ろしい気がする事があるよ。人生には老年にならぬとわからないさびしい気持ちがあるものだ。
唯円 世の中は若い私たちの考えているようなものではないのでしょうね。
親鸞 「若さ」のつくり出す間違いがたくさんあるね。それがだんだんと眼《め》があかるくなって人生の真の姿が見えるようになるのだよ。しかし若い時には若い心で生きて行くより無いのだ。若さを振りかざして運命に向かうのだよ。純な青年時代を過ごさない人は深い老年期を持つ事もできないのだ。
唯円 私には人生はたのしい事や悲しい事のいっぱいある不思議な、幕の向こうの国のような気がいたします。
親鸞 そうだろうとも。
唯円 虫が鳴いていますね。(耳を傾ける)
親鸞 まるで降るようだね。
唯円 私はあの声を聞くといつも国の事が思われますの。私の家の裏の草むらでは秋になると虫がしきりに鳴きました。私のなくなった母は、よく私をおぶって裏口の畑に出ました。そしてあのこおろぎの鳴くのは、「襤褸《つづれ》針《さ》せつづれさせ」と言って鳴くのだ、貧しいものはあの声を聞いて冬の着物の用意をするのだと言って聞かせました。私はその時さびしいような、寒さの近づくような変に心細い気がしたものです。それからはあのこおろぎの声を聞くと母の事を思います。
親鸞 お兼さんがなくなってから何年になるかね。
唯円 ことしの冬が七回忌でございます。
親鸞 ほんに惜しい事をした。あんないいおかあさんはめずらしかった。
唯円 母は私をどんなに愛してくれたでしょう。私は子供の時の思い出をたどるたびに母の愛をしみじみと感じます。
親鸞 左衛門殿からおたよりがありましたか。
唯円 はい、達者で暮らしているそうです。母がなくなってからはさびしくていけないそうです。人生の無常を感じる、ひたすらに墨染めの衣がなつかしいと言って来ました。そして母の七回忌を機に出家したい、私の家を寺にしようと思っている。本尊はあの、あなたから、かたみにいただいた片手の欠けた仏像をまつるつもりだ、と言ってよこしました。
親鸞 とうとう出家する気になったかねえ。
唯円 長い間の願いだったのですからね。寺の名を枕石寺《ちんしゃくじ》とつけるのですって。それはあなたがあの雪の降る夜、石を枕《まくら》にして門口にお寝《やす》みになったのにちなむのですって。それからお師匠様に法名をつけてもらってくれと言っていました。
親鸞 あの人もずいぶん苦しまれたからね。
唯円 私は父が恋しゅうございます。もうずいぶん長く会わないのですから。
親鸞 私はあの雪の朝に別れたきりお目にかからないのだ。あの夜の事は忘れられない。
唯円 すごいような吹雪《ふぶき》の夜でしたっけね。私は子供心にもはっきりと覚えています。
親鸞 お前はまだ稚《おさ》ない童子だったがな。あのころから少しからだが弱いと言っておかあさんは案じていらしたっけ。
唯円 あの時あなたが門口のところで、もうお別れのときに、私を衣のなかに抱いてくだすったのを私は今でもよく覚えています。
親鸞 もう会えるか会えないかもわからずに、どこともなしに立ち去ったのだった。
唯円 師と弟子《でし》との契りを結ぶようになろうとは夢にも思いませんでした。
親鸞 縁が深かったのだね。
唯円 (しばらく沈黙、やがて思い入れたように)お師匠様、あなたは私を愛してくださいますか。
親鸞 妙な事をきくね。お前どうお思いかな。
唯円 愛してくださいます。(急に涙をこぼす)私はもったいないほどでございます。私はあなたの御恩は一生忘れません。私はあなたのためならなんでもいたします。私は死んでもいといません。(すすり泣く)
親鸞 (唯円の肩に手を置く)どうした。唯円。なんでそんなに感動するのだ。
唯円 私はあなたの愛にすがって頼みます。どうぞ善鸞様をゆるしてあげてください。善鸞様と会ってください。
親鸞 …………
唯円 私はたまりません。善鸞様は善《よ》いかたです。不幸なかたです。だれがあのかたを憎む事ができるものですか。皆が悪いのです。世の中が不調和なのです。皆が寄ってたかってあのかたをあのようにしたのです。あのかたはあなたを愛していらっしゃいます。どうぞ会ってあげてください。ゆるしてあげてください。私がすぐに行ってお連れ申します。どんなにお喜びなさるか知れません。
親鸞 (苦痛を制したる落ち付きにて)お前は善鸞と会いましたか。
唯円 私は会いました。きょう善鸞様からお使いが来て私はあなたに内緒で会いに行きました。私はうそを申しました。私は木屋町に用たしに行くと言ったのは偽りです。善鸞様は木屋町にいられます。私はうそを申しました。
親鸞 善鸞はどうしていましたか。
唯円 (思い切って)私が行った時には遊女や太鼓持ちとお酒を飲んでいられました。
親鸞 そのような席にお前を呼んだのか。純な、幼いお前を。放縦《ほうしょう》な人は小さいものをつまずかすことをおそれないのだ。
唯円 でも善鸞様はこのような所を見せてすまないとおっしゃいました。また仲居が私に酒をすすめた時に、この人にはすすめてやってくれるなとおっしゃいました。また自分は汚れているが純潔な人を尊敬するとおっしゃいました。善鸞様はいつもの自分のしているありのままのところへ私をお呼びなすったのです。見せつけるためではなく、自分を偽らないためだったのです。
親鸞 善鸞はなんのためにお前を呼び寄せたのだろう。
唯円 さびしいのですよ。私と会って話したかったのですって。私のような者をでも慰めにお呼びなさらなくてはならないとはあのかたもよほど孤独なかたです。まったくさびしそうでした。杯やお膳《ぜん》や三味線などの狼藉《ろうぜき》としたなかにすわって、酔いのさめかけた善鸞様は実に不幸そうに見えました。私は一人の人間があのようにさびしそうにしていたのを見た事はこれまでありませんでした。
親鸞 人生のさびしさは酒や女で癒《いや》されるような浅いものではないからな。多くの弱い人はさびしい時に酒と女に行く。そしてますますさびしくされる。魂を荒される。不自然な、険悪な、わるい[#「わるい」に傍点]心のありさまに陥る。それは無理はないが、本道ではない。どこかに自欺と回避とごまかしとがある。強い人はそのさびしさを抱きしめて生きて行かねばならぬ。もしそのさびしさが人間の運命ならば、そのさびしさを受け取らねばならぬ。そのさびしさを内容として生活を立てねばならぬ。宗教生活とはそのような生活の事を言うのだ。耽溺《たんでき》と信心との別れ道はきわどいところにある。まっすぐに行くのと、ごまかすのとの相違だ。
唯円 善鸞様も自分の生活に自信を持ってしていられるわけではないのです。それでよけいに不幸なのです。今のあのかたのお心持ちでは、ああして暮らしなさるよりないのだろうと思います。私は善鸞様の苦しいお話を聞いて圧《お》しつけられるような気がいたしました。なんと言って慰めていいかわからないで、同悲の情に胸を打たれるばかりでした。私は善鸞様を責める気など少しも起こす事はできませんでした。私はただ私の前に痛ましく苦しんでいる一人の人間を見ました。そしてその人を傷つけた責めをだれが背負うべきかを考えて不合理な感じばかりに先立たれました。私は帰る道で考えると眩暈《めまい》がするような気がしました。だって何一つ私の頭では得心が行かないのですもの。私はすべての考えの混乱の間に、ただはっきりとわかっている一つの事ばかり思いつめて帰りました。それは善鸞様はゆるされなければならないという事でした。
親鸞 あれもかわいそうなやつとは私も思うている。あれにも数々の弁解がある事だろう。だがあれは他人の運命を損《そこの》うたのだからな。一人の可憐《かれん》な女は死んだ。一人の善良な青年の心は一生涯《いっしょうがい》破れてしまった。幾つかの家族の間には平和が失われた。それが皆あれの弱かったせいなのだからな。その報いをうけているのだよ。
唯円 でもあのかたばかりが悪いのではありません。あのかたの一生の運命を傷つけたのも社会の不自然な意志の責めに帰すべきものと私は思います。恋している男と女とを添わせるのは天の法則です。その法則に反逆したのは社会の罪と思います。あのかたばかり責めるのはひどすぎます。
親鸞 社会もその報いを受けているのだよ。世の中の不調和は、そのようにして、人間が互いに傷つけ合うては報いを受け合うところから生ずるのだ。それが遠《とお》うい遠うい昔から、傷つけつ傷つけられつして積み重ねて来た「業《ごう》」が錯雑しているのだからな。そのもつれた糸の結び目にぽつり一個の生をうけているのが私たちなのだもの、不調和な運命を生まれながらに負わされているのだ。その上私たちが作る罪や過失の報いはいつまでも子孫の末に伝わって消えないのだ。
唯円 私たちの存在は実に険悪なものですね。
親鸞 仏様がましまさぬならば、私はだれよりも先にだれよりもはげしく、私たちの存在を呪《のろ》うであろう。だが仏様の恩寵《おんちょう》はこの世に禍悪があればあるだけ深く感じられる。世界の調和はいっそう複雑な微妙なものになる。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》はいっさいの業《ごう》のもつれを解くのだ。
唯円 その南無阿弥陀仏を信ずる事ができないと善鸞様はおっしゃるのです。
親鸞 なぜにな。
唯円 私はその理由を聞いてどんなに感動したでしょう。善鸞様は御自分がそれに相当しないほど強く自分を責めていられるのです。自分のようにきたない罪を犯しながら、このまま助かることを願うほど自分はあつかましくなっていないと言われました。「せめてそれは私の良心です、私の誇りです」とおっしゃった時には涙が光っていました。父のように清い人間には念仏はふさわしいが、私のような汚れたものにはむしろ難行苦
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