行が似つかわしいとおっしゃいました。私はいっそ罰を受けたい気がする。私は滅びの子だと言ってお泣きあそばしました。私はあのかたがおいとしくてたまりませんでした。
親鸞 も少し素直になってくれたらな。人にも自らにも反抗的になっている。罰を受けたいというのは甘えている。地獄の火の恐ろしさを侮っている。指一本焼ける肉体的苦痛でもとても耐え切れるものではないのだ。(間)彼はまだ失うべきものを失うていないと見える。
唯円 善鸞様は今なくなられたら魂はどこに行きます?
親鸞 (苦痛を耐えるために緊張した顔になる)地獄に堕《お》ちる……
唯円 おゝお師匠様、善鸞様に会ってあげてください。助けてあげてください。あなたはあのお子がいとしくはないのですか。
親鸞 …………
唯円 あなたはきびし過ぎます。あのかたにだけひど過ぎます。あなたはもし善鸞様があなたのお子でないならばとっくにゆるしてあげていらっしゃります。いつぞや了然《りょうねん》殿はあのかたよりもはるかに悪い罪を犯されました。けれどもあなたはおゆるしなされました。また唯信《ゆいしん》殿がこの春あやまちを犯された時、お弟子衆《でししゅう》は皆破門するように勧められたのに、あなたは一人かばっておあげなされました。なぜ善鸞様にばかりきびしいのですか。私はわかりません。あなたは常々私におっしゃるには私たちは骨肉や夫婦の関係で愛するのは純な愛ではない。何人をも隣人として愛せなくてはならないと教えてくださいました。それならあのかたも一人のあなたの隣人ではありませんか。その隣人をゆるすのは美しい事ではありませんか。私はこれまで一度もお師匠様に逆ろうた事はありません。けれどこの事ばかりは逆らわずにはおられません。私の一生の願いでございます。隣人としてあのかたに会ってあげてください。
親鸞 (涙ぐむ)お前の心持ちはよくわかる。私はうれしく思います。(考える)善鸞は会いたいと言いますか。
唯円 初めは、今私が父に会うのは父のためにならないとおっしゃいました。けれどお別れする時におとう様が会うとおっしゃればどうなされますときいたら、喜んで会うとおっしゃいました。
親鸞 私を恨んでいたろうね。
唯円 いいえ。あなたにすまないすまないと言っていられました。そしてあなたの事をいろいろ案じてお聞きなされました。今度|御上洛《ごじょうらく》あそばしたのもあなたに心がひかれたのらしいのです。私をお呼びなさるもあなたの身辺の御様子が何くれとなく聞きたいためなのですよ。
親鸞 実は私もあの子の事はいつも気になっているのだ。ことにあの子の母の事を思い出すと時々たまらなくなることもあるのだ。あの子の不幸なのも私に罪があるような気がしてな。
唯円 私はその事についてもきょう善鸞様から伺いました。
親鸞 善鸞はなんと言いましたか。
唯円 何事も人生の悲哀と運命だ。父を責める気はないとおっしゃいました。
親鸞 ふむ。(考える)やはり私の罪――過失だよ。そう言うことを許してもらえるなら。朝姫をも――あの子の母の名だよ――私は隣人として取り扱う気だったのだ。けれどついにそうはゆかなくなったのだ。私が弱かったのだ。おとなしい、けれどもいちずな朝姫の熱いなさけにほだされたのだ。北国の長い巡礼で私の心は荒野のようにさびしくなっていたからな。私はなぜなくなった玉日の記憶を忠実に守って独《ひと》りで暮らすことができなかったのであろうか。それを思うと自分を責める心に耐えない。私は苦しい。
唯円 …………
親鸞 けれど朝姫は責めるにはあまりに善良な温和な女だったよ。弱々しい感じを与えるほどだったよ。その裏には強い情熱がかくれていたけれどね。私が京に帰るときにどんなにはげしく泣いたろう。
唯円 もうおかくれあそばしたのですってね。
親鸞 うむ。(間)私はもう幾人《いくたり》愛する人に死なれたか知れない。慈悲深い法然《ほうねん》様や貞淑な玉日や、かいがいしいお兼さんや――
唯円 あの孝行な御嫡男《ごちゃくなん》の範意《はんい》さまや。
親鸞 (目をつむる)みんな今は美しい仏様になっていられるだろう。そして私たちを哀れみ護《まも》っていてくださるだろう。生きているうちに私の加えたあやまちは皆ゆるしていてくださるだろう。
唯円 逝《ゆ》くものをさびしく送ったこころで、残るものは仲よくせねばならぬと思います。それにつけても善鸞様を一日も早くゆるしてあげてくださいまし。
親鸞 私はゆるしているのだよ。あの子を裁くものは仏様のほかには無いのだ。
唯円 では会ってあげてくださいまし。
親鸞 …………
唯円 お師匠様。あなたはほんとうは会いたいのでございましょう。
親鸞 会いたいのだ。(声を強くする)放蕩《ほうとう》こそすれ私はあの子の純な性格も認めて愛しているのだ。私はあの子の事を忘れた日はない。あの子の顔が見たい。あの子の声に飢えている……
唯円 お会いなさいませ。お師匠様。父と子とが互いに会いたがっている。それを会うのがなぜそのようにむつかしい事なのでしょう。実に単純な事ではございませんか。
親鸞 まことに単純な事だ。調和した浄土ならすぐできるやさしい事だ。その単純な事ができぬような不自由な世界がこの世なのだ。(声を強くする)多くの人々の平和がその単純な一事にかかっている。無数の力が集まって私をさえぎっている。私は今その力の圧迫を痛切に感じている。私は争う力がない。(身をもがく)私は会えない。
唯円 いいえ。会ってください。会ってください。あなたはあまり義理を立て過ぎなされます。あなたのお子と思わずに、隣人として、赤の他人と思って……
親鸞 (苦しげに)おゝそれが私にできたなら! 私はそう思うべきであると信ずる。そう思えよとお前に教える。しかしそう思う事ができないのだ。お前はさっき私が他人に優しくわが子にきびしいと言ったね。それは私がわが子ばかり愛して、他人を愛する事ができないからだ。私は善鸞を愛している。私の心はややもすれば善鸞を抱きかかえて他の人々を責めようとする。ちょうど愛におぼれる母親が悪戯《わるさ》をする子供を擁して、あわれな子守《こもり》をしかるように。私は私の心のその弱みを知っている。それを知っているだけ私は善鸞を許し難いのだ。私は善鸞のために死んだ女の家族と、女の夫と、その家族と――すべて善鸞を呪《のろ》っている人々の事を思わずにはいられない。「あなたの子のために……」とその人々の目は語っている。「私の子のために……」と私はわびずにはいられない。ことに私はその人々を愛していないのだからね。私はあの子に会わなくともあの子を愛していないとの苛責《かしゃく》は感じない。それほど私はあの子を心の内では愛しているのだ。
唯円 私はせつなくなります。私はわからなくなります。
親鸞 その上私の弟子《でし》たちにも私が善鸞に会う事を喜ばぬもののほうが多いのだ。先刻も知応《ちおう》と永蓮《ようれん》とが来て私に会わぬように勧めて行った。
唯円 まあ、あなたのお心も察しないで。
親鸞 私のためを思って言ってくれたのだ。けれどすまぬ事だがそれは耳に快く響かなかった。
唯円 皆はなぜそのような考え方をするのでしょうねえ。
親鸞 お前のように情の温《あたた》かい人は少ないのだ。
唯円 あなたはほんとうにお会いなさらぬおつもりですか。
親鸞 うむ。周囲の人々の平和が乱れるでな。
唯円 では善鸞様はどうなるのでしょう。どんなにか失望なさいましょう。それよりもあのかたの迷っている魂はどうなるのでしょう。
親鸞 私がいちばん気にかけたのはそこなのだ。もし私でなくては善鸞の魂を救う事ができず、また私に救いうる力があるなら、私は他のいっさいの感情に瞑目《めいもく》してもあの子に会って説教するだろう。だが私にはあの子を摂取する力はない。助けるも助けぬも仏様の聖旨《みむね》にある事だ。私の計らいで自由にできる事ではない。あの子も一人の仏子であるからには仏様の守りの外に出てはいないはずだ。よもお見捨てはあるまいと思う。私に許される事はただ祈りばかりだ。私は会わずに朝夕あの子のために祈りましょう。おゝ仏さま、どうぞあの子を助けてやってくださいませと。愛は所詮《しょせん》念仏にならねばならない。念仏ばかりが真の末通りたる愛なのだ。あの子がいとしい時には、私は手を合わせて南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》を唱えようと思うのだ。お前もあの不幸な子のために祈ってやってくれ。
唯円 私も祈らせてもらいます。あゝ、しかし、なんというさびしいお心でございましょう。
親鸞 これが人間の恩愛の限りなのだ。
唯円 私はたまらなくなります。人生はあまりにさびし過ぎます。
親鸞 人生にはまだまださびしい事があるのだ。人は捨て難いものをも次第に失うてゆくのだ。私もきょうまでいかに多くのものを失うて来た事だろう。(独語のごとくに)あゝ、滅びるものは滅びよ。くずれるものはくずれよ。そして運命にこぼたれぬ確かなものだけ残ってくれ。私はそれをひしとつかんで墓場に行きたいのだ。(黙祷《もくとう》する)
唯円 あゝ、私はおそろしくなりました。
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[#地から4字上げ]――幕――
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    第四幕

      第一場

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黒谷墓地
無数の墓、石塔、地蔵尊等塁々として並んでいる。陰深き木立ちあり。ちょっとした草地、ところどころにばら、いちご等の灌木《かんぼく》の叢《くさむら》。道は叢の陰から、草地を経て木立ちの中にはいっている。
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人物 唯円《ゆいえん》 かえで 女の子、四人
時  春の午後 第三幕より一年後

唯円一人。木の株に腰を掛けている。
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唯円 春が来た。草や木の芽はまるで燃えるようだ。大地は日光を吸うて、ふくれるように柔らかになった。小鳥は楽しそうに鳴いている。数々の花のめでたいこと! 若い命のよろこびが私のからだからわいて出るような気がする。(立ち上がり、あちこち歩く)もう来そうなものだがな。(叢の陰を透かして見る)もしかすると都合が悪くて、出られなかったのではないかしら。私も内緒でやっと出て来たのだもの。(間)だんだんうそを言う事になれて行く。(立ち止まり考える。やがて急に生き生きとする)いいや、今、そんな事は考えられない。(歩き出す)気がいそいそしてとてもじっとしてはいられない。(歌い出す)春のはじめのおん喜びは、おんよろこびは、さわらびの萌《も》えいずるこころなりけり、きみがため、摘む衣の袖《そで》に、雪こそかかれ、わがころも手に……
かえで (灌木《かんぼく》の叢《くさむら》のかげより登場)唯円様、ただ今。お待ちあそばして?
唯円 えゝ。ずいぶん長く。
かえで (唯円のそばに寄る)私少し家《うち》の都合が悪かったものですから。でも急いで走るようにして来たのよ。(息をはずませている)
唯円 私はもしか出られないのではないかと気が気ではありませんでした。
かえで 出られないのを無理に出たのよ。でもあなたとあれほど堅くお約束しておいたのですもの、あなたを一人待ちぼけにすることはどうしたって私にはできなかったのだわ。けれどきょうは早く帰らないと悪いのよ。
唯円 来るとから帰る話をするのはよしてください。(かえでの顔を見る)どんなに会いたかったでしょう。
かえで (唯円に寄り添う)私も会いたくて、あいたくて。(涙ぐむ)
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両人ちょっと沈黙。
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唯円 ここにすわりましょう。(草をしいてすわる)
かえで (唯円と並んですわる)人に見られはしなくって。
唯円 めったに人は通りません。通ったっていいではありませんか。悪い事をするのではなし。
かえで でもきまりが悪いわ。
唯円 ずいぶん久しぶりのような気がします。この前|松《まつ》の家《や》の裏で別れてから何日目でしょう。
かえ
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