で 半月ぶりですわ。
唯円 その半月の長かったこと。私はその間あなたの事ばかり思い続けていました。
かえで 私もあなたの事はつかのまも忘れた事はありません。恋しくて、すぐにも飛んで行きたい事が幾度あったか知れません。でもどうする事もできないのですもの。私もどかしくてたまりませんでしたわ。
唯円 私もお寺でお経など読んでいても、ぼんやりしてあなたの事ばかり考えているのです。私は晩のお勤めを済ませたあとで、だれもいない静かな庭を、あなたの事を思いながら歩くのがいちばんたのしい時なのです。
かえで あなたなどはそのような時があるからようございますわ。私なんかそれはつらいのよ。一日じゅう騒々しくて、じっとものなど考えられるような時はありませんわ。
唯円 ほんとにもっとたびたび会えたらねえ。
かえで この前の時だって、ねえさんがとりなしてくださらなかったら会うことはできなかったのですわ。
唯円 浅香さんはどうしていられます。
かえで 善鸞様がお帰国あそばしてからは、それはさびしい日を送っておられます。
唯円 あのかたのおかげであなたに手紙があげられるのです。この前も私は夜おそくまで起きてあなたに長い手紙を書きました。そしてその手紙をふところに入れて外に出ました。外は水のような月夜でした。私はとても会えないとは思いながら、おのずと足が木屋町のほうに向いて、いつしか松《まつ》の家《や》の門口まで行きました。二階の障子には明かりがさして影法師が動いていました。あすこにはあなたがいるだろうと思いました。私は去りかねてそのへんをうろうろしていました。すると浅香さんが出て来たのです。私は手早く手紙を渡して急いでお寺へ帰りました。
かえで あの夜|階子段《はしごだん》の下の薄暗がりで、ねえさんが、いいものをあげましょうと言って何かしらくれました。私は廊下のぼんぼり[#「ぼんぼり」に傍点]の光で透かして見ました。あなたのお手紙なのでしょう。どんなにうれしかったでしょう。私は一字ずつ、たまいたまい読みました。読んでしまうのが惜しいのですもの。あなたの手紙はほんとにいいお手紙ね。私なんかお腹《なか》に思ってることがいっぱいあっても、筆が渋って書けないからくやしいわ。
唯円 あなたもお手紙くださいな。
かえで だって私はいろは[#「いろは」に傍点]だけしか知らないのですもの、(顔を赤くする)そして書くことが下手《へた》ですもの。
唯円 いろは[#「いろは」に傍点]でたくさんです。また心に思うことを飾らずにすらすら[#「すらすら」に傍点]書けば、ひとりでにいい手紙になるのです。お腹にまごころさえあれば。
かえで まごころでならだれにもまけなくてよ。私今度から手紙をあげますわ。(ちょっと考える)だめよ。どうしてあなたに渡すの。
唯円 そうですね。あなたは出られないし。使いがお寺へ来ると変だし。
かえで 何かいい分別は無くって。
唯円 (考える)私が取りに行きます。
かえで そんな事ができるの。
唯円 あなたは手紙を書いて持っていてください。私があの松《まつ》の家《や》のかけだし[#「かけだし」に傍点]の下の石段のところに行って、口笛を吹きます。あなたはあの河原へおりる裏口のところから出て私に手紙を渡してください。
かえで そしたらちょっとでもお顔を見る事もできるわね。けれど見つけられるとたいへんよ。(声を低くする)家《うち》のおかあ[#「かあ」に傍点]さんは私とあなたと仲よくするのをたいへん悪く思ってるのよ。遊ぶならお銭《あし》を持って来て遊ぶがいいと言っておこるのよ。
唯円 (拳《こぶし》を握る)私にお銭があったらなあ。
かえで いいのよ。私はあなただけはお客としてつきあってるのではないのですもの。いくらできたって、あなたにお銭で買われるのは死んでもいやですわ。(涙ぐむ)
唯円 あなたは私ゆえにつらいでしょうねえ。
かえで 私はかまいませんわ。それよりあなたお寺のほうの首尾が悪くはなくて。
唯円 (暗い顔をする)少しはお弟子《でし》たちには怪しく思っているものもあるようです。
かえで お師匠様には知れはしなくて。
唯円 えゝ。(不安そうな顔をする)
かえで きょうはなんと言って出ていらしたの。
唯円 黒谷《くろだに》様にお参りして来ると言ったのです。
かえで お師匠様はなんとおっしゃいました。
唯円 ついでに真如堂《しんにょどう》に回って、ゆっくりして帰るがいいとおっしゃいました。
かえで そうですか。(考える)
唯円 私はお師匠様にうそをつくのが苦しくていけません。けさも黒谷にお参りして、法然《ほうねん》様のお墓の前にひざまずいて、私は心からおわびを申しました。
かえで (急に沈んだ表情になる)清いあなたにうそを言わせるのも皆私のせいです。
唯円 いいえ。そうではありません。
かえで 堪忍《かんにん》してください。(手を合わす)
唯円 私が悪いのです。(手を解かせる。そのままじっとかえでの手を握っている)無理にうそを言わなくても、ありのままをお師匠様に打ち明ければいいのです。私が勇気が無いのがいけないのです。
かえで だってそんな事を打ち明けたらしかられはしなくって。
唯円 私たちは悪い事をしているのではありません。私たちはその自信を何よりも先に持たねばなりません。かえでさん。いいですか。卑屈な心を起こしてはいけませんよ。
かえで だってあなたは坊様でしょう。そして私はあれ[#「あれ」に傍点]でしょう。女のなかでも人様に卑しまれる遊女でしょう。
唯円 僧は恋をしてはいけないというのは真宗の信心ではありません。また遊女だからとて軽蔑《けいべつ》するのはお師匠様の教えではありません。たとえ遊女でも純粋な恋をすれば、その恋は無垢《むく》な清いものです。世の中には卑しい、汚れた恋をするお嬢さんがいくらあるか知れません。私はあなたを遊女としてつきあってはいません。あなたも私を客としてつきあってはいないとさっき言いましたね。私はあれはありがたい気がしました。実際あなたは純潔な心を持っているのだもの。私はあなたを愛します。(手を強く握り締める)
かえで でも私は、私は……(涙をこぼす)私のからだは汚れています。(袖《そで》で顔をおおうて泣く)
唯円 (かえでを抱く)かえでさん。かえでさん。
かえで 私を捨ててください。私はあなたに愛される価値《ねうち》がありません。私は汚れています。あなたは清い清い玉のようなおからだです。私はすみません。私は泣いて耐え忍びます。これまで何もかもこらえて来たのですもの。私は一生男のなぐさみもので終わるものと覚悟していました。その侮辱さえも私の運命としてあきらめる気でした。あきらめないと言ったとてしかたはないのですもの。私に力が無いのですもの。また皆が私にそうあきらめさせるように仕向けるのですもの。どのお客も、どのお客も皆私をなぐさみものとして取り扱いました。そして私に自分をそう思えよと強《し》いました。私はそれにならされました。自分はなぐさまれる犠牲《いけにえ》、お客は呵責《かしゃく》する鬼ときめました。あなたは私を娘として取り扱ってくださった最初のかたでした。私でも人間であることを教えてくださった最初のかたでした。あなたは私でも仏様の子であるとまでおっしゃってくださいました。(泣く)私はあなたのように私を取り扱ってくれる人があろうとは夢にも思いませんでした。あなたは天の使いのようなかただと私は思いました。あなたとつきあっているうちに、私はだんだんと、失っていた娘の心を回復して来ました。娘らしいねがいが、よみがえって来ました。雨のようなあなたの情けに潤うて、私の胸につぼみのままで圧《お》しつけられていた、娘のねがい、よろこび、いのち、おゝ、私の恋が一時にほころびました。私はうれしくて夢中になりました、そして私の身のほども、境遇も忘れてしまいました。私に許されぬ世界を夢みました。今私は私の立っている地位を明らかに知りました。私はあなたの玉のような運命を傷つけてはなりません。私を捨ててください。私はあきらめます。あなたの事は一生忘れません。私はしばらく私に許されたたのしい夢の思い出を守って生きて行きます。
唯円 夢ではありません。夢ではありません。私は私たちの恋を何よりも確かな実在にしようと思っているのです。天地の間に厳存するところのすべて美しきものの精として、あの空に輝く星にも比べて尊み慈《いつく》しんでいるのです。二人の間に産まれたこの宝を大切にしましょう。育てて行きましょう。私は恋のためと思うと一生懸命になるのです。力がわくのです。およそ私たちの恋を妨げる敵と勇ましくたたかいましょう。あなたも悲しい事を考えないで心を強く保っていてください。私たちの恋が成就するためには、山のような困難が横たわっています。それを踏み越えて勝利を占めねばなりません。およそ私たちの恋を夢と思うほど間違った考えはありません。かえでさん、私はそのような浮いた心ではありませんよ。私は恋の事を思うただけでも涙がこぼれるのです。(涙をこぼす)私は甘い、たのしい事を考えるよりも、むしろ難行苦行を思います。お百度参りを思います。恋は巡礼です。日参です。(かえでの顔をじっと見る。やがて強くかえでを抱き締める)あなたのからだの汚れていることをあなたはひどく気にします。あなたの心を察します。あなたはたまらないでしょう。私はそれを思うとふらふらするような気がしました。私は夜も眠られませんでした。私は考えもだえました。けれど私はもうその苦しみに打ちかちました。それはあなたの罪ではありません。あなたの不幸です。あなたを責めるのは無理です。他人の罪です。その他人の加えた傷害のために、あなたはそのように苦しんでいるのです。そのために自分の一生の幸福さえもあきらめようとしているのです。なんという事でしょう。私はこの事実を呪《のろ》います。恐ろしい事です。不合理な事です。皆悪魔のしわざです。おゝ、私は悪魔に挑戦します。(拳《こぶし》を握る)
かえで 皆悪魔です。冷酷な鬼です。毎晩その悪魔が来て恥ずかしい事を仕掛けるのですもの。それがみんな、しつこいのですもの。
唯円 その小さな、美しいからだに。おゝ。(よろめく)
かえで (唯円をささえる)唯円さま。唯円さま。
唯円 ちくしょう! 私はこうしてはいられない。(かえでに)私はあなたを悪魔の手から守らなくてはなりません。一日も早くあなたをその境遇から救い出さねばなりません。しっかりしていてください。気を落としてはいけません。今に、今に私があなたを助け出します。
かえで でも一度汚れたからだはもう二度と――
唯円 その事はもうおっしゃいますな。あなたはその事で決して私に気がねをなさいますな。あなたの罪ではないのですから。それどころではありません。私はあなたがたといこれまで自分でどのようなきたない罪を犯していらしっても、私はそれをゆるしてあなたを愛する気なのです。
かえで (涙ぐむ)まあ、それほどまでに私を愛してくださいますの。
唯円 (痙攣的《けいれんてき》にかえでを抱く)永久にあなたを愛します。あなたは私のいのち[#「いのち」に傍点]です。
かえで (唯円の胸に顔を押し当てる)いつまでも、かわいがってくださいよねえ。
唯円 いつまでも。いつまでも。
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両人沈黙。叢《くさむら》の陰から子供の歌がきこえる。やがて子供四人登場。女の子ばかり。手ぬぐいをかぶり、籃《かご》を持っている。唯円、かえで離れる。
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子供一 (歌う)蕗《ふき》のとう[#「とう」に傍点]十になれ、わしゃ二十一になる。
子供二 見つけた。(蕗《ふき》のとう[#「とう」に傍点]を摘む)
子供三 ここにもあってよ。
子供四 入れてちょうだい。(籃《かご》をさし出す)もうこんなにたんと[#「たんと」に傍点]になってよ。
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子供たち唯円とかえでを見てちょっと黙って躊
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