は万善を廃するとて非難いたしておるおりでございます。
唯円 善鸞様は善《よ》いかたでございます。あなたがたの思っていられるようなかたではありません。私は善鸞様としばらく話してすぐに好きになりました。どのような事をなされたかは存じませぬが私はあのかたを悪いかたとは思われません。
僧一 唯円殿のお言葉ですが、善鸞《ぜんらん》様は放蕩《ほうとう》にて素行《そこう》の修まらぬ上に、浄土門の信心に御反対でございます。
僧二 放蕩をなさるのなら浄土門の信心でなくては出離の道はありますまいにね。
僧三 では悪くても救われるから悪い事もしてやれというのではないのですね。
僧一 私もそうであろうと思いました。しかしほんとうはそうではなさそうです。それで私も合点が行かぬのでございます。
僧二 それではお師匠様の御立腹も無理はございませんね。
唯円 お師匠様は善鸞様の事を陰ではどれほど気にしていらっしゃるか知れませんよ。
僧三 しかし今のままではとても御勘気の解ける見込みはありませんね。なにしろ稲田《いなだ》の時からの長い御勘当でございますからね。
唯円 善鸞様は今度稲田から御上洛《ごじょうらく》あそばすそうでございますが。
僧一 とても御面会はかないますまい。
唯円 どうぞ御面会がかないますようにあなたがたのおとりなしのほどをお願い申します。
僧二 そのような事はめったにできません。お師匠様のおしかりを受けます。
僧三 善鸞様のお心が改まらなくてはかえっておためにもなりますまい。
唯円 私は悲しい気がいたします。
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一同ちょっと沈黙。
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僧一 きょうの法話はどなたがなさるのでございますか。
僧二 私がいたすはずになっています。
僧三 どのような事についてお話しなさるおつもりですか。
僧二 法悦《ほうえつ》という事について話そうと考えています。仏の救いを信ずるものの感ずる喜びですな、経にいわゆる踴躍歓喜《ゆやくかんぎ》の情ですな。富もいらぬ、名誉もほしくない、私にはそれよりも楽しい法の悦《よろこ》びがあります。その悦びがあればこそこの年まで墨染めの衣を着て貧しく暮らして来たのですからね。
僧一 そうですとも。私は他人の綺羅《きら》をうらやむ気はありません。私は心に目に見えぬ錦《にしき》を着ていると信じていますから。
僧二 私はきょう話そうと思います。皆様はこの法悦の味を知っていますか。もしこの味を知らないならば、たとい皆さんは無量の富を積んでいようとも、私は貧しい人であると断言いたしますと。(肩をそびやかす)
僧三 それは思い切った、強い宣言ですな。
僧二 若いむすこや娘たち――私は言おうと思います。皆様はこの法悦の味を知っていますか。もしこの味を知らないならばたとい皆様は楽しい恋に酔おうとも、私は哀れむべき人々であると断言いたします。
僧三 若い人々は耳をそばだてるでしょうね。
僧二 私からなんでも奪ってください――私は言おうと思います。富でも名誉でも恋でも。ただしかしこの法の悦びだけは残してください。それを奪われることは私にとっては死も同じ事です。
僧一 ちょうど私の言いたい事をあなたは言ってくださるようにいい気持ちがします。
僧三 私も同じ心です。その悦《よろこ》びがなくては私たちは実にみじめですからね。僧ほどつまらないものはありませんからね。私もその悦びで生きているのです。
僧二 私はその悦びは私たちの救われている証拠であると言おうと思います。私たちはこの濁《けが》れた娑婆《しゃば》の世界には望みを置かない。安養の浄土に希望をいだいている。私たちは病気をしても死を恐れることはない。死は私たちにとって失でなくて得である。安養の国に往《ゆ》いて生きるのだからである。このような意味の事を話そうと思うのです。
僧三 それは皆ほんとうです。私たち信者の何人も経験する実感です。
僧一 昔からの開山たちが、一生涯《いっしょうがい》貧しくしかも悠々《ゆうゆう》として富めるがごとき風があったのは、昔心の中にこの踴躍歓喜《ゆやくかんぎ》の情があったからであると思います。
僧二 唯円殿、あなたは何を考え込んでいられますか。
僧三 たいそう沈んでいらっしゃいますね。
僧一 顔色もすぐれませんね。お気分でも悪いのではありませぬか。
唯円 いいえ、ただなんとなく気が重たいのでございます。
僧三 そのように気のめいる時には仏前にすわって念仏を唱えてごらんなさい。明るい、さえざえした心になります。
唯円 さようでございますか。
僧一 大きな声を出してお経を読むとようございます。
僧二 一つは信心の足りないせいかもしれません。気を悪くなさいますな。私は年寄りだから言うのですからね。だが仏様のお慈悲をいただいていればいつも心がうれしいはずですからね。いつも希望が満ちていなくてはなりません。また仏様の兆載永劫《ちょうさいようごう》の御苦労を思えば、感謝の念と衆生《しゅじょう》を哀れむ愛とが常に胸にあふれていなくてはなりませんからな。法悦《ほうえつ》のないのは信心の獲得《ぎゃくとく》できていない証《あかし》だと思います。気を悪くなさいますな。いや若い時はだれでもそんなものですよ。
僧一 おやお勤めの始まる鐘がなっています。
僧二 本堂のほうへ参らなくてばなりません。
僧三 ではごいっしょに参りましょう。唯円殿は?
唯円 私はお師匠様のお給仕をいたしますので。
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三人の僧退場。唯円しばらく沈黙。やがて茶器を片付け、立ちあがり、廊下にいで、柱に身をよせかけ、ぼんやりして下の道路を見ている。商家の内儀と女中と下の道路の端に登場。
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内儀 きょうはたくさんなお参りだね。
女中 いいお天気でございますからね。
内儀 ずいぶんほこりが立ちますね。(眉《まゆ》をひそむ)
女中 お髷《ぐし》が白くなりましたよ。
内儀 そうかえ。(手巾《てぬぐい》を出して髷《まげ》を払う)少し急いで歩いたものだから、汗がじっとりしたよ。(額や首をふく)
女中 ほんに少し暑すぎるくらいですね。
内儀 線香に、米袋に、お花、皆ありますね。
女中 皆ちゃんとそろっています。
内儀 おやお勤めの鐘がなってるよ。
女中 ちょうどよいところへ参りました。
内儀 早く本堂のほうに行きましょう。(道路の向こうの端に退場)
親鸞 (登場。唯円の後ろに立つ)唯円、唯円。
唯円 (振り向く。親鸞を見て顔を赤くする)
親鸞 そんなところで何をしている。
唯円 ぼんやり町を通る人を見ていました。
親鸞 きょうはよいお天気じゃの。
唯円 秋にしては暑いくらいでございます。
親鸞 たくさんな参詣人じゃの。
唯円 はい。ここから見ているといろいろな人が下を通ります。
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丁稚《でっち》二人登場。角帯をしめ、前だれをあて、白足袋《しろたび》をはいている。印のはいったつづらを載せた車を一人がひき、一人が押している。
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丁稚一 もっとゆっくり行こうよ。
丁稚二 でもおそくなるとまたしかられるよ。
丁稚一 私はくたびれたよ。
丁稚二 またゆうべのように居眠りするとやられるよ。
丁稚一 でも眠くてねむくてしょうがなかったのだよ。
丁稚二 ずいぶん暑いね。(手で汗をふく)
丁稚一 そんなに草履《ぞうり》をパタパタさせな。
丁稚二 たくさんな人だね。
丁稚一 皆お寺参りだよ。
丁稚二 見せ物の看板でも見て行こうか。
丁稚一 (ちょっと誘惑を感じたらしく立ち止まる)でもおそくなるとしかられるから早く行こうよ。(退場)
親鸞 世のさまざまな相《すがた》が見られるな。私は昔から通行人を見ているとさびしい気がしてな。
唯円 私もさっきからそのような気がしていたのです。
親鸞 ここでしばらくやすんで行こうか。
唯円 それがよろしゅうございます。(座ぶとんを持って来て敷く)きょうはよく晴れて比叡山《ひえいざん》があのようにはっきりと見えます。
親鸞 (すわる)あの山には今もたくさんな修行者がいるのだがな。
唯円 あなたも昔あの山に長くいらしたのですね。
親鸞 九つの時に初めて登山して、二十九の時に法然《ほうねん》様に会うまではたいていあの山で修行したのです。
唯円 そのころの事が思われましょうね。
親鸞 あのころの事は忘れられないね、若々しい精進《しょうじん》と憧憬《あこがれ》との間にまじめに一すじに煩悶《はんもん》したのだからな。森なかで静かに考えたり漁《あさ》るように経書を読んだりしたよ。また夕がたなど暮れて行く京の町をながめてあくがれるような寂しい思いもしたのだよ。
唯円 では私の年にはあの山にいらしたのですね。どのような気持ちで暮らしていられましたか。
親鸞 お前の年には私は不安な気持ちが次第に切迫して来た。苦しい時代だった。お経を読んでも読んでも私の心にしっくりとしないのだからな。それに私はその不安を心に収めて、まるで孤独で暮らさねばならなかった。
唯円 同じ年輩の若い修行者がたくさん近くにいられたのではないのですか。
親鸞 何百というほどいたよ。恐ろしい荒行をする猛勇な人や、夜の目も惜しんで研究する人や、また仙人《せんにん》のように清く身を保つ人やさまざまな人がいた。私もその人々のするような事をおくれずにした。ずいぶん思い切った行もした。しかし私の心のなかにはその人々には話されぬようなさびしさがあった。人生の愛とかなしみとに対するあくがれがあった。話せば取り合われないか、あるいは軽蔑《けいべつ》されるかだから、私はその心持ちをひとりで胸の内に守っていた。そのさびしさは私の心の内でだんだんとひとには知れずに育って行った。私がいよいよ山を下る前ごろにはそのさびしさで破産しそうな気がしたくらいだったよ。
唯円 お師匠様。私はこのごろなんだかさびしい気がしてならないのです。時々ぼんやりいたします。きょうもここに立って通る人を見ていたらひとりでに涙が出て来ました。
親鸞 (唯円の顔を見る)そうだろう。(間)お前は感じやすいからな。
唯円 何も別にこれと言って原因はないのです。しかしさびしいような、悲しいような気がするのです。時々は泣けるだけ泣きたいような気がするのです。永蓮《ようれん》殿はからだが弱いせいだろうと言われます。私もそうだろうかとも思うのです。けれどもそうばかりでもないように思われます。私は自分の心が自分でわかりません。私はさびしくてもいいのでしょうか。
親鸞 さびしいのがほんとうだよ。さびしい時にはさびしがるよりしかたはないのだ。
唯円 今にさびしくなくなりましょうか。
親鸞 どうだかね。もっとさびしくなるかもしれないね。今はぼんやりさびしいのが、後には飢えるようにさびしくなるかもしれない。
唯円 あなたはさびしくはありませんか。
親鸞 私もさびしいのだよ。私は一生涯《いっしょうがい》さびしいのだろうと思っている。もっとも今の私のさびしさはお前のさびしさとは違うがね。
唯円 どのように違いますか。
親鸞 (あわれむように唯円を見る)お前のさびしさは対象によって癒《いや》されるさびしさだが、私のさびしさはもう何物でも癒されないさびしさだ。人間の運命としてのさびしさなのだ。それはお前が人生を経験して行かなくてはわからない事だ。お前の今のさびしさはだんだん形が定まって、中心に集中して来るよ。そのさびしさをしのいでからほんとうのさびしさが来るのだ。今の私のようなさびしさが。しかしこのような事は話したのではわかるものではない。お前が自ら知って行くよ。
唯円 では私はどうすればいいのでしょうか。
親鸞 さびしい時はさびしがるがいい。運命がお前を育てているのだよ。ただ何事も一すじの心でまじめにやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。それ
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