か》まえて、地べたにおしつけて力を入れて抜いた。翼は大きくて小さい骨ほどあるのだからちょっと引っぱったぐらいでは抜けはしないからね。すると一本抜くごとに鶏が悲鳴をあげるのだ。
お兼 私はあの声ぐらいいやなものはありませんわ。殺してしまってからぬけばよかりそうなものですにね。
左衛門 それでは羽が抜けにくいし、だいち肉がおいしくなくなるのだ。わしは夢の中でその声を聞くとなんとも言えない残酷な快感を感じるのだ。それで首を自由にさせて、ゆっくりゆっくり一本ずつぬいて行った。するとお前が飛んで来てね。
お兼 まあ。いやな。私も出るのですか。
左衛門 うむ。後生だから、鳴かせるのはよしてくださいと言うのだ。それでわしは鶏の首をぐるぐるねじったのだ。それがまるで手ぬぐいを絞るような気がするのだよ。そして鶏の頭を、背のところにおしつけて、片手で腹をしめつけて、足を踏まえて、しばらくじッとしていたのだ。鶏は執念深くて、お尻《しり》で呼吸をするのだからな。もう参ったろうと思って手を放したところが、その毛のぬけたもう鶏とは見えないようなやつが、一、二間も駆け出すのだよ。
お兼 もうよしてください。ほんとに恐ろしい。
左衛門 それからが気味が悪いのだよ。わしはあわてて、その鶏を捕まえて、今度は鶏の首を打ち切ろうと思って地べたに踏みつけて庖丁《ほうちょう》を持って今にも切ろうとしたのだよ。鶏は変な目つきをしてわしを見た。そして訴えるような、か弱い声でしきりに鳴くのだ。その時急に夢の中でわしがその鶏になってるんだよ。わしは恐ろしくて声を限り泣いた。「鶏《とり》つぶし」は冷然としてわしの顔を見おろしていた。わしはもう鳴く力も弱くなって、哀れな訴えるような声を立てていた。するとわしはなんだかこのとおりの事がいつか前に一度あったような気がするのだよ。はて聞き覚えのある声ではあるわいと思った。その時今まで長く忘れてしまっていた一つの光景が不思議なほどはっきりとその鶏になってるわしの記憶によみがえって来たのだ。ずっと昔にわしが前《さき》の世にいた時に一人の旅の女を殺した事があったのだ。わしは山の中で脇差《わきざし》をぬいて女に迫った。女は訴えるような声を立てて泣いた。わしが思い出したのはその泣き声だったのだ。その報いが今来たのだなと思った。屠殺者《とさつしゃ》の庖丁は今に下りそうで下らない。その時わしはうなされて目がさめたのだ。
お兼 なんて変な恐ろしい夢でしょうねえ。(身ぶるいする)
左衛門 その前世の悪事の光景を思い出した時の恐ろしさ。気味の悪いほどはっきりしているのだからね。あゝ地獄だという気がしたよ。今でも思い出すと魂の底が寒いような気がする。(青い顔をしている)
お兼 今夜はなんだか変な気がしますね。私も寝床にはいってから少しも眠られないので、いろいろな事が考えられてならなかったのですの。実は私のなくなったおかあさんの事を思い出しましてね。変な事をいうようですけれどもね。私はなんだか宵《よい》のあの出家様が私のおかあさんの生まれかわりのような気がするのですよ。
左衛門 なにをばかな。そんな事があるものか。
お兼 おかあさんはあんなに信心深かったでしょう。そして死ぬる前ころ私に「私は今度はどうせ助かるまい。私が死んだら坊様に生まれかわって来る。よく覚えておおきよ。門口に巡礼して来るからね」って言いました。それを真顔でね。それからというものは私は巡礼の僧だけは粗末にする気になれないのですよ。その事を思い出しますのでね。
松若 (目をさます)もう起きるのかい。
お兼 いいえ。夜中だよ。寒いから寝ておいで。(蒲団《ふとん》をかけてやる)
松若 そうかい。(また寝入る)
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二人沈黙。外を風の音が過ぎる。
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左衛門 宵《よい》の出家の衆はどうしただろうね。
お兼 雪の中を迷っているでしょうよ。
左衛門 わしは気になってね。酒に酔っていたものだからね。すこしひどすぎた。(考えている)
お兼 あなた坊さまを杖《つえ》でぶちましたね。
左衛門 悪い事をした。
お兼 私がはたで見ていても宵のあなたのやり口は立派とは思えませんでしたよ。乱暴なだけではありませんでしたからね。あなたのいつもはきらう、皮肉やら、あてつけやら、ひねくれた冷たい態度でしたからね。
左衛門 わしもそう思うのだ。宵にはどうも気が変になって来ていたからね。
お兼 それにあの坊さんはよさそうな人でしたよ。少しも気取ったところなどなくて、謙遜《けんそん》な態度でしたからね。私は好きでしたから、泊めてあげたかったのですのに、あなたはまるで聞きわけが無いのですもの。
左衛門 少し変わった坊様のようだったね。
お兼 少しも悪びれない立派な応対でしたわ。私はかえってあの坊様にあなたの風《ふう》を見せるのが恥ずかしくて顔が赤くなるようでしたわ。
左衛門 まったくいけなかったね。
お兼 それにあの坊様はあなたの言葉に興味を感じて注意しているようでしたよ。むしろ親しい好意のある表情をして聞いていましたよ。
左衛門 わしもそんな気がせぬでもなかった。
お兼 ほんとに宵《よい》のあなたはみじめだったわ。坊様はあなたの皮肉に参らないで、かえってあなたを哀れみの目で見ているようでしたよ。
左衛門 (顔を赤くする)そう言われてもしかたがない。
お兼 お弟子衆《でししゅう》は私らは家の外でもよろしい、ただお師匠様だけは凍えさせたくない、と言って折り入って頼むのに、あなたは冷淡に構えているのですもの。私かわいそうでしたわ。
左衛門 どうしてああだったのだろう。わしの中に悪霊でもいたのだろうか。
お兼 おまけに杖《つえ》でぶったのですもの。あの時年とったお弟子は涙ぐんでいましたよ。若いほうのお弟子が腹を立てて杖を握りましたら、坊様はそれを止めましたよ。威厳のある顔つきでしたわ。
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左衛門、黙って腕を組んでいる。
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お兼 私は外に飛んで出て思わず坊様の肩をさすって許しを乞《こ》いましたのよ。でもあまりおいとしかったのですもの。
左衛門 坊様はその時なんと言った。
お兼 大事ありません、行脚《あんぎゃ》すれば、このような事はたびたびありますとおっしゃいました。
左衛門 あれからどうしただろうかねえ。さだめしわしを呪《のろ》った事であろう。(考える)お前これから行って呼びもどして来てくれないか。あの坊様が一生呪いを解かずに雪の中を巡礼していると思うとわしはたまらなくなる。
お兼 いいえ。夫を呪ってやってくださるなと私が言ったら、安心なさい、私はむしろあの人を心の純な人と思っていますとおっしゃいましたよ。
左衛門 そんな事を言ったかえ。(涙ぐむ)どうぞも一度連れて来てくれ。わしはあやまらなくては気がすまない。
お兼 この雪の降る真夜中にどことあてもなく捜すことができるものですか。
左衛門 これきり会えないのはたまらない気がする。
お兼 でもしかたがありませんわ。
左衛門 もしかまだ門口にいられはすまいか。
お兼 そんな事があるものですか。あんな所に立っていたら凍え死にしてしまいますわ。
左衛門 でも気になるから、見て来てくれ。
お兼 見て来るには来ますけれどね。(手燭《てしょく》をともし、庭におり、戸をあけて外を透かして見る)あら(叫ぶ。外に一度飛んで出る。それからまた内にはいる)左衛門殿。早く来てください。来てください。(外に飛び出る)
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左衛門、緊張した、まっさおな顔をして外に飛び出る。松若母の声に目をさまし、父のあとからついて出る。三人の僧驚いて目をさまし、身を起こす。
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お兼 まあ、あなたがたはまだここにいらしたのですか。この雪の降るのに、この夜中に。まあ、どうだろう。冷たかったでしょう。凍えつくようだったでしょう。
左衛門 (親鸞に)私は……私は……(泣く)許してください。(雪の上にひざまずく)
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親鸞、感動する。少しおどおどする。それから黙って左衛門の肩をさする。
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お兼 根はいい人なのですからね。根はいい人なのですからね。
慈円 (涙ぐむ。小声にて)南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》南無阿弥陀仏。
良寛 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
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異様な緊張した感動一同を支配す。少時沈黙。
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お兼 どうぞ皆様内にはいってください。炉にあたってください。冷たかったでしょう。この夜中に。薄い衣きりで。ほんとにどうぞはいってください。(親鸞の衣より雪を払う)こんなに雪がたくさんかかって。(内にはいる)
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左衛門続いてはいる。親鸞、慈円、良寛、沈黙して内にはいり、雪を戸口で衣より払い庭に立つ。
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左衛門 (座敷に上がる)どうぞ上がってください。お兼たき木をたくさんついでくれ。
お兼 (たき木をつぎつつ)どうぞ上がってください。炉のそばで衣をかわかしてください。
親鸞 (弟子に)ではあげてもらいましょう。(草鞋《わらじ》を脱いで座敷に上がり炉のそばに寄る。慈円、良寛それにならう)
左衛門 宵《よい》には私はひどい仕打ちをいたしました。酒を飲んで気が変になっていたのです。いったいにこのごろ気が変になっているのです。私が悪うございました。私は恥ずかしい気がします。私は皮肉を言ったり冷笑したりしました。(熱心になる)私はそれがいちばん気にかかります。あなたがたはさぞ私を卑しいやつだとおぼしめしたでしょう。そう思われてもしかたがありません。私はいつもはそのような事を卑しんでいました。けれど昨夜は心の中に不思議な力があって、私にそのような所業をさせてしまいました。私はその力に抵抗する事ができませんでした。
親鸞 それを業《ごう》の催しというのです。人間が罪を犯すのは、皆その力に強《し》いられるのです。だれも抵抗する事はできません。(間)私はあなたを卑しい人とは思いませんでした。むしろ純な人だと思いました。
左衛門 ようおっしゃってくださいます。私が一つの呪《のろ》いの言葉を出した時に、次の呪いの言葉がおのずからくちびるの上にのぼりました。私はののしり果たすまではやめられませんでした。あなたがたを戸の外に締め出したあとで、私の心はすぐに悔い始めました。けれど私はそれを姑息《こそく》にも酔いでごまかしました。私はけさ不思議に恐ろしい夢にうなされて目がさめました。酔いはすでにさめ果てていました。私は宵の出来事を思い返しました。そして心鋭い後悔の苦しみと、あやまりたい願いでいっぱいになりました。このままあやまらずにしまうならどうしようかと思いました。その時雪の中で凍えかけていられるあなたがたを見いだしたのです。どうぞ私を許してください。
親鸞 仏様が許してくださいましょう。あなたのお心が安まるために、私も許すと申しましょう。あなたが私に悪い事をなすったのなら。けれど私はあなたを裁きたくありません。だいち私はその価がありません。昨夜私は初めあなたの言葉を聞いた時あなたの心の善《よ》さがじきにわかりました。私は親しい心であなたに対しました。けれどあなたは私を受けいれてくれませんでした。その時私はあなたをお恨み申しました。外に追い出された時私の心は怒りました。もし奥様のとりなしの言葉が無いならば、あなたを呪《のろ》ったかもしれません。私は奥様に決して呪いませんと申しました。けれど夜がふけて寒さの身にしむにつれて、私の心はあなたがたを恨み始めました。私は決して仏様のような美しい心で念仏していたのでありません。私はだいち肉体的苦
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