や、人がそう申しているという事ですよ。(かたくなる)お師匠様が黙っていらっしゃれば、あなたはなおさらつつしまなくてはなるまいかと存じます。お優しいのをいいことにして、思うがままのおふるまいは道であるまいと存じます。
僧三 それも良家の淑女というならまだしも、卑しい遊女などを相手にして。僧たるものが。浅ましい事でございます。
唯円 遊女ではありますが心は純潔な女です。
僧二 (僧三と顔を見合わす)あなたがだまされているのですよ。ことわざにも「傾城《けいせい》に誠なし」と申します。遊女などの申す言葉などあてになるものですか。
唯円 でもあの女ばかりはそのような女ではありません。私はむしろ私があの人を傷つけはしないかとそれを恐れているのです。
僧三 ほう。あなたはまだお若いからな。あなたをだますくらいたやすい事はありませんよ。あなたのひざに片手を置いて涙を一滴落として見せる――それだけの事ですよ。
唯円 私はあの人を信じています。
僧二 もしあの女がほんとうにあなたに対して何かの興味を感じているとしたら。まあ、好奇心でしょうよ。若い坊様ということにな。あなたはごきりょうがよいからな。
唯円 そんな浮いた事ではないのです。私たちは苦しいほどまじめなのです。会うたびごとに泣くのです。二人いるとひとりでに涙が出るのです。
僧三 まじめとは驚きます。女郎買いすることがまじめとは。僧たるものが。いや、まったく今時の若いお弟子《でし》たちにはおどろきますよ。
唯円 私はあの人を遊女として取り扱っているのではないのです。ひとりの娘と思ってつきあっているのです。またあの人も私に買われるとは思っていないのです。
僧二 娘としたらよほど気まぐれな娘でしょうな。もろこしの書にも「晨《あした》に呉客を送り、夕べに越客を迎う」というてあります。考えてごらんなされませ。女にはあなたのほかに幾十のお客がある。それらの人のなかにはもっとお金のある、歴々の、立派な紳商や武家もありましょう。それらの人をさしおいて、特別に女があなたに心を寄せるというには、何かあなたにひきつけるところがなくてはならぬはずです。だが、こう申しては失礼だが、あなたはまだ修業も熟さぬ若僧じゃ、お金は無し。いったい僧というものはあまり女に好かれる性質《たち》ではありませんよ。え。考えたらいかがです。男というものは女にかけてはうぬぼれの強いものでしてな。気を悪くしてはいけませんよ。まったくあなたは興奮していられますよ。だがこうして話しているうちにも、あの女はほかのお客に抱かれているかもしれない。
唯円 あゝ。それを言われては! (興奮する)私は自分のねうちのないことはよく知っています。また、あの女のからだの汚れていることも知り抜いています。けれどあの女の心がほんとうに私のものであることは疑うことができません。
僧三 そしてあなたの心があの女のものであることもでしょう。(くちびるに笑いを浮かべる)幾千万のおめでたい若者が昔からそのとおりに言いました。そして後悔するときは、もう自分の浮かぶ瀬は無くなっていました。だから君子は初めよりその危うきに近づきません。知者は、自身の身の安全の失われない範囲で女の色香をたのしみます。あなたのは身をもって、その危うさの中に飛び込もうとするのです。なんの武装もなしに。痴と言おうか。稚と申そうか。なにしろ女遊びは火をもてあそぶよりも危険ですよ。
唯円 けれど真剣な事は皆危険なものではありますまいか。お師匠様も真理は身をもって経験にぶつかる時にばかり自分のものになる。信心なども一種の冒険だとも言えるとさえおっしゃいました。
僧三 お恥じなさい、唯円殿。(声を荒くする)あなたは女遊びと信心とを一つにして考えるのですか。
僧二 お師匠様の名によって、おのれの非を掩《おお》おうとするのは横着というものです。いったいお師匠様はあなたを買いかぶっていられます。あなたは寵《ちょう》に甘えています。
僧三 素性も知れない遊女におぼれて、仏様への奉公をおろそかにし、そのうえあれこれと小さかしく弁解する。いったいならただおそれ入ってあやまらねばならないところです。私たちの若い時には、このような所業をしたものは寺の汚れとしてすぐに放逐されたものです。
僧二 卑しい遊《あそ》び女《め》などの言葉をまに受けてたまるものですか。おめでたいといっても限りがある。たいていわかったことではありませんか。それ、下世話によく申す、「後ろに向いて舌をべろり」――このような言葉はあまり上品なものではありませんけれどね。
唯円 (いかる)あなたは一人の少女《むすめ》の心をあまり見くびっていらっしゃいます。また僧だから尊い、遊女だから卑しいというような考え方は概念的ではありませんか。僧の心にでも汚れはあります。遊女の心にでも聖《きよ》さはあります。純な恋をすることはできます。どのような人かわかりもしないのに、初めから悪いものと疑うのはいけないと思います。一つの事に一生懸命になるときには人間はまじめになるのです。私は最前からあなたがたのお話を聞いていて、あなたがたが女に対してまじめな考えを持っていらっしゃらないのを感じました。そのような考えが女を悪くさせたのではありますまいか。
僧三 あなたは私たちに説教する気ですか。(冷笑する)
唯円 (逆上する)あなたがたは私を愛してくださらないのです。私は初めから冷たい気に触れて、心が堅くなるような気がしました。愛してはくださらないのです。(涙ぐむ)最前あなたが舌をべろりとおっしゃった時にあなたの口もとには卑しい表情が漂いました。あの女が私はよごれているといって涙をこぼして手を合わせて私にすまないといってわびた時には聖《きよ》い感じがあらわれました。いったいにこのごろあの女は信心深くなりました。私は時々あの女から純な宗教的な感じのひらめきに打たれてありがたいとさえ思うているのです。
僧二 あなたは仏様のかわりにあの女を拝んだらいいでしょう。
唯円 (立ち上がる)私はごめんをこうむります。(行こうとする)
僧三 (さけぶ)勝手になされませ。
僧一 (制する)そんなに荒くなってはいけません。唯円殿まあお待ちなされませ。
唯円 (すわる)私はなさけなくなります。(涙ぐむ)
僧一 あなたは自分のしている事を悪いとはお思いなさらぬのですか。
唯円 皆様のおっしゃるように悪いとは思っていません。
僧一 ではなぜうそを言って外出《そとで》あそばすのですか。
唯円 …………
僧一 やはりよくないところがあるのですよ。私はお若いから無理はないとは思いますがね。またきびしくは申しませんがな。少し考えなすったらいいでしょう。ほかの若い弟子《でし》たちの風儀にもかかわりますからな。
唯円 うそをついて出たのは重々悪うございました。私がお師匠様に打ち明けなかったのがいけなかったのです。私はいつも心がとがめていました。
僧一 お師匠様に打ち明けるのですって。
唯円 はい。何もかもつつまずに。
僧一 そんな事がよく考えられますね。
僧二 あつかましいといってもほどがあります。
僧三 どんなにご立腹あそばすか知れません。
唯円 でもお師匠様は恋をしてはならないとはおっしゃいませんでしたもの。
僧二 まさか遊女と恋せよとはおっしゃらなかったでしょう。
唯円 けれど遊女だからといって軽蔑《けいべつ》してはいけないとおっしゃいました。
僧一 当流では妻帯をいとわないとはいっても、それはおもてむきの結婚をした男と女との事です。男女の野合をゆるすのではありません。ことに遊《あそ》び女《め》とかくれ遊びをするのが、いいか悪いかぐらいの事はわかりそうなはずと思います。
唯円 かくれ遊びをしたのはまったくいけませんでした。あやまります。もう二度といたしません。許してください。私はこのごろいつも考えているのです。けれどどのような男女の関係がいちばんほんとうなのかわからなくなるのです。あるいは野合のようなのが実はいちばん真実なのではないかと思われることもあります。
僧二 あなたには驚かされます。
唯円 私はあの女といっしょになるつもりです。
僧三 あの遊《あそ》び女《め》と?
唯円 はい。もう堅く夫婦約束をいたしました。
僧二 よくま顔でそんな事が言えますね。
僧一 あなたはとくと考えましたか。
唯円 はい。夜も眠れないで考えました。
僧二 そしてその結果がこの決心に到着したというのですね。この淫縦《いんじゅう》な決心に。あきれます。私は浅ましい気がいたします。あなたは何かに憑《つ》かれているのではありませんか。
僧三 破戒だ。おそろしい。(間)これはまったく悪魔の誘惑にちがいない。
唯円 (ため息をつく)
僧一 唯円殿、私はしつこくは申しますまい。私はあなたの一すじな気質を知っていますからな。私はきょうまであなたを愛していたつもりじゃ。ただも一度だけ申します。考えてみてください。静かに、心を落ち付けて。あなたは興奮していられる。恋は知恵者の目をも曇らすものだでな。私はお寺のため、法のためを思わずにはいられませぬ。また何百という若いお弟子《でし》たちのことを慮《おもんぱか》らねばなりませぬ。あの迷いやすい羊たちの群れをな。若い時の心はわしも知っている。あなたが女を恋しく思われるのを無理とは思いませぬ。その儀ならば、幸いに当流は妻帯をいとわぬことゆえ、しかるべき所から、良家の処女を申し受けても苦しくない。私に心当たりもあります。しかし素性も知れぬ遊女とはあまり理不尽と申すものです。世間ではこのごろ当流の安心《あんじん》は悪行をいとわぬとて非難の声が高いときです。その時お師匠様御近侍の若僧が遊女をめとったとあっては、法敵の攻撃に乗ずる口実ともなります。若い弟子たちの精進《しょうじん》は鈍くなります。日ごろ御発明なあなたです。ここの道理のわからぬことはありますまい。若いあなたがこの決心をひるがえさぬなら、私はあなたにこの寺にいてもらうことはできません。あるいは私が出て行くかどちらかです。だが、たぶん、あなたは私にそのような苦しい思いをさせずに思いとどまってくださるだろう。私はあなたを愛しているつもりじゃ。な。唯円殿、あなたは今は興奮しているからでしょう。思い切ってくださるでしょう。あの女の事はふっつりとあきらめ……おや、あなたは泣いていますね。
僧二 女ではあるまいし。
僧三 いや。思い切られたのでしょう。それでつらいのでしょう。
唯円 私は思い切ることができません。私はもう考え抜いたのです。私は寺の事、法の事、朋輩衆《ほうばいしゅう》の事も考えないのではありません。けれどあの女を振り捨てる気にはなれません。あの女に罪はないのですもの。振り捨てねばならない理由が見つからないのですもの。私はどうしても恋を悪いものとは思われません。もし悪いものとしたらなぜ涙と感謝とがその感情にともなうのでしょう。あの人を思う私のこころは真実に満ちています。胸の内を愛が輝き流れています。湯のような喜びが全身を浸します。今こそ生きているのだというような気がいたします。あゝ、私たちがどんなに真実に愛しあっているかをあなたがたが知ってくださったら! 私は自分の心からわいて起こる願いを大切にして生きたいと思います。そのねがいが悪いものでない以上は、決してあきらめまいと思います。お師匠様がおっしゃいました。宗教というのは、人間の、人間として起こしてもいい願いを墓場に行くまで、いかなる現実の障碍《しょうげ》にあってもあきらめずに持ちつづける、そしてそのねがいを墓場の向こうの国で完成させようとするこころを言うのだって。あの小さい可憐《かれん》なむすめ、淵《ふち》の底に陥って泥《どろ》にまみれてもがいている。もう死ぬのだとあきらめている。そこに救いの綱がおりて来た。それを握れば助かるという。でもそれを初めは拒んだほど不幸に身を任せていたのだ。私はあの女に助けられたいという欲望を起こさせるのにどんなに骨を折ったろう。とうとう綱を握った。もう明るい陸のきわま
前へ
次へ
全28ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング