。わしは嘲笑《ちょうしょう》したいような気がするのだ。わしは思うのだ。わしの優しいのは性格の弱さだ。わしはそれに打ちかたねばならない。ひどい事にも耐える強い心にならねばならない。わしは自分でひどい事に自分をならそうと努めているのだよ。
お兼 まあ。そんな事をする人があるものですか。自分の心を善《よ》くしょうと心がけるかわりに悪くしょうとして骨折るなんて。
左衛門 (飲み飲み語る)わしは悪人になってやろうと思うのだ。善人らしい面《つら》をしているやつの面の皮をはいでやりたいのだ。皆うそばかりついていやがる、わしはな、これで時々考えてみるのだよ。だが死んでしまうか、盗賊になるか、この世の渡り方は二つしか無いと思うのだ。生きてるとすれば食わねばならぬ。人と争わずに食うとすれば乞食《こじき》をするほかはない。世の中の人間が皆もののわかる人間なら乞食はいちばん気持ちのいい暮らし方だろう。だがいやな人間から犬に物を投げてやるようにして哀れみの目で見られて残り物をもらって生きるのはいちばんつらいからな。そして世の中の人間はみんなそのような手合いばかりだからな。乞食もできないとすれば、むしろ力ずくで奪うほうがいくら気持ちがよいか知れない。どうせ争わねばならぬのなら、わしは慈悲深そうな顔をしたり、また自分を慈悲深いもののように考えたり虚偽の面をかぶるよりも、わしは悪者ですと銘打って出たいのだ。さもなくば乞食をするか。それも業腹《ごうはら》なら死んでしまうかだよ。ところでわしはまだ死にともないのだ。だから強くなくてはいけないのだ。だがわしは気が弱いでな。気を強くする鍛錬をしなくてはいけないのだ。きょうも吉助《きちすけ》の宅《うち》でおふくろに泣かれた時にはふらふらしかけたよ。わしはわしをしかってもっと気強くしなくてはならないと腹を決めてどなりつけてやったのだよ。悪くなりくらなら、おれだっていくらでも悪くなれるぞという気がしたよ。(酒を飲む)
お兼 まあ、あなたのような一概な考え方をなさる人もないものですわ。そのような事を松若の前で話すのはよしてくださいな。自分の子におとうさんがお前は泥棒《どろぼう》になれと教えるようなものではありませんか。あなたはとても悪者になれる柄ではないのですからね。根が優しいのですからね。それは善《よ》い性格ではありませんか。
左衛門 いや、わしは自分を善い性格とは考えたくないのだ。善い人間ならなぜ乞食《こじき》をしないのだ。いやなぜ死なないのだ。皆うその皮だよ。わしの言う事がわからないかい。(だんだん興奮する)
お兼 あなたの心持ちはわかりますけれどね。
左衛門 わしは気が弱くていけないのだ。こっちに来てからだんだん貧乏になったのもそのためだよ。様子を知らぬ武士の果てと見て取って、損と知れている商売をつかませたり、田地をせばったり、貸した金は返りはしないし。今にいやいやで乞食にならねばならなくなるよ。いやないやなやつの門口に哀れみを乞《こ》うて親子三人立たねばならなくなるよ。わしはお前や松若がかわいいでな。今のうちにしっかりしなくては末が知れている。なにしろ気が弱くてはだめだよ。(酒をがぶがぶ飲む)
お兼 (心配そうに)もうおよしなさいな、お酒は。あなたはだんだん気が荒くおなりなさるのね。私はほんとうに心配しますわ。それに近所の評判も悪いのですもの。きょうもね。(声を落として)松若から聞くと、吉也《きちや》がほかの子供をけしかけて松若をいじめるのですって。それがあなた、皆あなたの気荒いせいからなのですよ。
左衛門 なんだってわしのせいだというのだい。
お兼 松若のおとうさんは殺生《せっしょう》をしたり百姓をいじめる悪いやつだっていうのですよ。宅《うち》のおとうさんをいじめるから、お前をおれがいじめてやると言って雪をぶっかけたり、道ばたから押し落としたりするそうですよ。
左衛門 そんな事をするかい。悪いやつだ。お師匠様に言いつけてやれ。
お兼 そうすると帰り道によけいにひどい目に会わせるそうですよ。
左衛門 (怒る)吉也《きちや》の悪《わる》め。よし、そんな事をするならおれに考えがある。あすにも吉助《きちすけ》の宅に行ってウンという目にあわせてやる。
お兼 そのような手荒な事をしたのではかえって松若のためにもなりませんわ。それよりもあなたがもっと気を静めて百姓などをいたわってやってくださればよいのですわ。無理をしないであなたの生まれつきの性質のとおりにしてくださればよいのではありませんか。
左衛門 それでは見る見る家がつぶれるよ。こっちが優しく出れば、向こうも、正直に応じるというように世の中の人間はできていないのだ。あくまで優しく出る気ならさっきも言ったようにいやなやつの門口に立つ覚悟でなくてはできないのだ。お前にその覚悟があるかい。わしは世渡りの巧みな性質に生まれて来ていないのだ。この性質を鍛え直さなくては世渡りができないのだ。妻子を養い外の侮辱を防ぐ事ができないのだ。(気をいら立てる)もっと悪に耐えうる強い性格にならなくてはならないのだ。おれはおかげでだんだん悪くなれそうだよ。昔は人様に悪く言われると気になって夜も眠られなかったものだ。今は悪く言われても平気だよ。いや気持ちがいいくらいだよ。おれも強くなったなと思うのでな。鉄砲で鳥や獣を打つのでも鶏をつぶすのでも、初めはいやでならなかったが今ではなんでもなくなった。(酒を飲む)
お兼 私はあなたに言おうと思っていたのです。後生だから猟はもうよしてくださいな。私|殺生《せっしょう》は心からいやですのよ。猟をしなくっては食べていけないというのではなし。
左衛門 初めはいやいややったのが、今ではおもしろくてやめられないのだ。向こうの木の枝に鳥がいる。あれはもうおれのものだと思うと勝ち誇ったような愉快な気がする。殺すも生かすもおれの心のままだでな。バタバタ落ちて来たやつを拾い上げて見ると、まだ血が翼について温《あたた》かいよ。たまには翼を打たれて落ちてバタバタしてまだ生きているのもあるよ。そのような時には長く苦しませずに首をねじって参らせてやるのだ。
お兼 私そんな話を聞くのはもういやですからよしてください。私のおかあさんは生きてるとき生き物を殺すのをどんなにいやがったか知れません。あんなに信心深かったのですからね。私などはおかあさんのしつけのせいか、殺生は心からいやですわ。あなたが庭で鶏をつぶしなさる時のあの鳴き声のいやな事といったらありませんわ。それに(松若のほうをちょっと見て)それに私はなんだかあのように松若の弱いのは、あなたが殺生をしだしてからのような気がするのですよ。
左衛門 そんなばかな事があるものか。お前の御幣《ごへい》かつぎにもあきれるよ。
お兼 それにあなたは、信心気がありませんからね。せめて朝と晩とだけはお礼だけでもなさいましな。私などは一度でも拝むのを怠ると気持ちが悪くていけませんわ。ほんに行く末が案じられますわ。このような事では運のめぐって来ないのも無理はありませんわ。
左衛門 仏様を拝んだところでしかたがないよ。わしは仏像と面《かお》を見合わせてすわるのがつらいのだよ。(間)今晩は変な気がしてちょっとも酔えないよ。お前が陰気な話ばかりするものだから。もっと酔わなくては。(酒を杯に二、三杯続けて飲む)
お兼 そんな無茶に飲むのはおよしなさいな。(左衛門を心配そうに見つつちょっと沈黙)私はほんとに心細くなるわ。(戸の外をあらしの音が過ぎる)ひどい吹雪《ふぶき》ですねえ。
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左衛門は手酌《てじゃく》でチビリチビリ飲んでいる。お兼は黙って考えている。松若は本を見ている。親鸞、慈円、良寛、舞台の右手より登場。墨染めの衣に、笈《おい》を負い草鞋《わらじ》をはき、杖《つえ》をついている。笠《かさ》の上には雪が積もっている。
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慈円 たいへんな吹雪になりましたな。
良寛 だんだんひどくなるようでございます。
慈円 お師匠様。あなたはたいそうお疲れのように見えますな。
良寛 おん衣の袖《そで》はしみて氷のように冷とうなりました。
親鸞 もう日も暮れてだいぶになるな。
慈円 雪で道もふさがってしまいました。
良寛 私はもう歩く力がございません。
親鸞 ではこのあたりで泊めてもらおうかな。
慈円 この家で一夜の宿を乞《こ》うてみましょう。
良寛 ほかの家も見あたりませんね。(戸口に行き戸をたたく)もし、もし。
松若 (耳を澄ます)とうさん。だれか戸をたたくよ。
お兼 風の音だろう。
左衛門 この吹雪に外に出るものは無いからな。
松若 いんや。確かにだれか戸をたたいてるよ。
良寛 (戸を強くたたく)もしもし。お願い申します。お願い申します。
お兼 (耳を澄ます)ほんとに戸をたたいてるね。だれか人声がするようだ。(庭におり戸を開く)どなた様で?(三人の僧を見る)何か御用でございますか。
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松若母の後ろより好奇心でながめて立っている。
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良寛 旅の僧でございますが、この吹雪《ふぶき》で難儀いたしております、誠に恐れ入りますが、一夜の宿をお願いいたす事はできますまいか。
お兼 それはお困りでございましょう、もう十丁ほどおいでなされば宿屋がございます。
慈円 あの私たちは托鉢《たくはつ》いたして歩きますものでお金《あし》を持っておりませんので。
良寛 どのような所でもただ眠ることさえできればよろしいのでございますが。
お兼 さようでございますか。(三人の僧をつくづく見る)ではちょっと夫にきいてみますから。そこはお寒うございます。内にはいってお温《あたた》まりあそばせ。
左衛門 お兼。なんだい。
お兼 旅の坊さんなんですがね。三人ですの。この雪で困るから一夜だけ泊めてくれないかとおっしゃるのです。お金《あし》がないから宿には着けないのですって。
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三人の僧内にはいり庭に立つ。
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左衛門 (いやな顔をする)せっかくだがお断わりしよう。
お兼 でも困っていらっしゃるのだから泊めてあげようではありませんか。
左衛門 いや泊めるわけには行かないよ。
お兼 あなたいいではありませぬか。何も迷惑になるのではなし。それに御出家様ではありませぬか。
左衛門 いやだよ。(声を荒くする)坊さんだから泊められないのだ。わしは坊さんが大きらいだ。世の中でいちばんきらいだ。
お兼 そんな失礼なことを。(慈円に小声にて)お酒に酔っているのです。気を悪くしないでください。
慈円 (左衛門に)どこでもよろしゅうございますから、今晩一夜だけとめていただかれますまいか。
左衛門 お断わりします。
良寛 縁先でもよろしゅうございますが。
左衛門 くどい人だな。
慈円 お師匠様どういたしましょう。
親鸞 私がも一度頼んでみましょう。(左衛門に)御迷惑ではございましょうが、難儀をいたしておりますで、御縁とおぼしめして一夜だけ泊めていただかれませんでしょうか。
左衛門 お前さんは師匠様だな。(冷笑する)なるほどありがたそうな顔をしておいでなさるよ。だがあいにくわしは坊さんがきらいでしてな。虫が好きませんのでな。
親鸞 おいやなのはわかりました。だがあわれんでお泊めくださいまし。
左衛門 お前さんがたをあわれむなんて。どういたしまして。いちばんおうらやましい御身分でいらっしゃいますよ。この世では皆に尊ばれて死ぬれば極楽へ行かれますでな。あなたがたは善《よ》い事しかなさらないそうだでな。わしは悪い事しかしませんでな。どうも肌《はだ》が合いませんよ。
親鸞 いいえ。悪い事しかしないのは私の事でございます。
左衛門 (親鸞の言葉には耳を傾けず)あなたがたのなさる説教というものはありがたいものですな。おかげで世間に悪人がなくなりますよ。喜捨、供養をす
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