いますか。
顔蔽いせる者 刑罰だ!(大地六種震動す)
人間 (地に倒れる)
顔蔽いせる者 (消ゆ)
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舞台暗黒。暴風雨の音。やがてその音次第に静まり、舞台ほの白くなり、うす甘き青空遠くに見ゆ。人間の姿|屍《しかばね》のごとく横たわれるが見ゆ。かすかなる音楽。
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童子の群れ (天に現わる。歌を唱う)
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すべての創《つく》られたるものに恵みあれ。
死なざるもののめぐし子に幸いあれ。
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童子の群れ (消ゆ)
人間 (起き上がり天を仰ぐ)遠い遠い空の色だな。そこはかとなき思慕が、わたしをひきつける。吸い込まれるようなスウィートな気がする。この世界が善《よ》いものでなくてはならぬという気がほんとうにしだした。たしかなものがあることは疑われなくなりだした。私はたしかに何物かの力になだめられている。けれど恵みにさだめられているような気がする。それをうけとることが、すなわち福《さいわ》いであるように。行こう。(二、三歩前にあゆむ)向こうの空まで。私の魂が挙《あ》げられるまで。
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[#地から4字上げ]――幕――
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第一幕
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人物 日野左衛門《ひのさえもん》 四十歳
お兼《かね》(その妻) 三十六歳
松若《まつわか》(その息。出家して唯円《ゆいえん》)十一歳
親鸞《しんらん》 六十一歳
慈円《じえん》(その弟子《でし》) 六十歳
良寛《りょうかん》(その弟子) 二十七歳
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第一場
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日野左衛門屋敷。
座敷の中央に炉が切ってある。長押《なげし》に槍《やり》、塀《へい》に鉄砲、笠《かさ》、蓑《みの》など掛けてある。舞台の右にかたよって門がある。外はちょっとした広場があって通路に続いている。雪が深く積もって道のところだけ低くなっている。
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お兼 (炉のそばで着物を縫うている)やっとここまでできた。あと四、五日もすればできあがるだろう。なにしろ早くしなくてはもうすぐお正月が来る。松若も来年は十二になるのだ。早く大きくなってくれなくては。ほんとに引き延ばしたいような気がする。(間)それにつけても左衛門殿のこのごろの気のすさみようはどうしたものだろう。だんだんひどくなるようだ。国にいたころはあんな人ではなかったのだけれど。ほんとに末が案じられてならない。(外をあらしの吹き過ぎる音がする)きょうもたいそう立腹して吉助《きちすけ》殿の家に行かれたのだけれど、めんどうな事にならなければよいが。(立ちあがり、戸をあけて空を見る)おゝ寒《さむ》。(身ぶるいする)また降って来るな。(戸を締め炉のはたにきたり、火かきで火をつつき手をかざす)松若はきょうはおそいこと、寒いのに早く帰って来ればよいのに。(あたりをば見回し)もう暗くなった。(立ちあがり、押し入れから行灯《あんどん》を出して火をつける。仏壇にお灯明をあげ、手を合わせて拝む)
松若 (登場。色目の悪い顔。ふくれるように着物を着ている。戸をあける)かあ様、ただ今。(ふろしき包みと草紙《そうし》とを投げ出し)おゝ寒い、さむい。(手に息を吹きかける)
お兼 おゝお帰り。寒かったろう。さあおあたり。きょうはたいへんおそかったね。
松若 (炉のそばに行く)お師匠様のうちでごちそうが出たの。皆およばれしたのだよ。それでおそくなったの。
お兼 そうかえ。それはよかったね。お行儀よくしていただいたかえ。
松若 あゝ。わしの清書が松だったのだよ。
お兼 そうかえ。それはえらいね。草紙をお見せ。この前の清書の時は竹だったにね。(松若より草紙を受け取り、広げて見る)なるほど、「朱に交われば赤くなる」だね。だいぶしっかりして来たね。も少し字配りをよくしたらなおいいだろう。丹誠《たんせい》してお稽古《けいこ》したおかげだよ。(松若の頭をなでる)
松若 吉助《きちすけ》さんとこの吉也《きちや》さんは梅だったよ。
お兼 あの子はいたずら好きでなまけるからだよ。(間)あの、ちょいと立ってごらん。(松若立つ。ものさしで丈《たけ》を測る)三寸五分だね。ではあげを短くしなくては。お前の荷物だよ。よくうつるだろう。お正月にこれを着てお師匠様の所に年始に行くのだよ。
松若 お正月はいつ来るの。
お兼 もう十二日寝ると来るよ。
松若 おとうさんは?
お兼 おとうさんは吉助殿の所へ行かれた。もうおっつけお帰りだろう。
松若 吉助のうちの吉也は私をいじめるよ。きょうもお稽古《けいこ》から帰りに、皆して私の悪口を言って。
お兼 え。悪口をいっていじめるって。ほんとかい。
松若 松若のおとうさんは渡り者のくせに、百姓をいじめたり、殺生《せっしょう》をしたりする悪いやつだって。
お兼 まあ(暗い顔をする)そんな事を言うかい。
松若 うむ。宅《うち》のおとうさんをいじめるから、私はお前をいじめてやると言って雪をぶっかけたよ。
お兼 悪いことをするやつがあるね。大丈夫だよ。私がお師匠様に言いつけてやるから。
松若 いんや。私が一度お師匠様にいいつけたら、帰り道によけいにいじめたよ。(残念そうに)道ばたの田の中に押し落としたりしたよ。
お兼 まあ。そんなひどい事をするかえ。心配おしでないよ。私が今によくしてあげるからね。
松若 うむ。(うなずく)
お兼 (戸棚《とだな》から皿《さら》に干《ほ》し柿《がき》を入れて持ちきたる)さあ、これをおあがり。秋にかあさんが干しておいたのだよ。私はちょっとお台所を見て来るからね。(裏口から退場)
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松若柿を食う。それからあたりを見回し仏壇の前に行き、立ったまま不思議そうに仏像を見る。それからすわってちょっと手を合わせ拝むまねをする。それから卓の上の本を捜し、絵本を一冊持って炉のはたにきたり、好奇心を感じたらしくめくって見る。
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お兼 (登場。前掛けで手をふきつつ)おいしかったろう。(間)何を見ているのだえ。
松若 うむ。おいしかったよ。(熱心に絵本に見入る)
お兼 今の間《ま》に少し裁縫《しごと》をしよう。(炉のはたに近く縫いさしの着物を持ちきたり針を動かす)
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両人しばらく沈黙。
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松若 かあさん。これなんの絵だえ。
お兼 (針を止めて)お見せ。(のぞき込む)それはね、お釈迦《しゃか》様という仏様がおなくなりなさった絵だよ。(針をつづける)
松若 そうかい。衣《ころも》を着たたくさんの坊さんがそばで泣いているね。
お兼 みんなお弟子《でし》たちだよ。偉いお師匠様がおかくれなされたのだからねえ。
松若 ふむ。猿《さる》だの蛇《へび》だのいるね。鳩《はと》もいるよ。皆泣いてるね。どうしたのだろうね。
お兼 お釈迦様は慈悲深いおかたで畜生《ちくしょう》でもかわいがっておやりなされたのだよ。それでかわいがってくれた人が死んだので皆泣いているのだよ。
松若 ふむ。(考えている)
左衛門 (登場。猟師の装いをしている。鉄砲をかつぎ、腰に小鳥を二、三羽携えている)帰ったよ。ばかに寒い。
お兼 お帰りなさい。待っていました。寒かったでしょう。降っていますか。(戸のそばまで出て迎える)
左衛門 大雪だよ。このぶんでは道がふさがってしまうだろう。(雪を払う)
松若 とう様。お帰りなさい。(手をつき頭をかがむ)
左衛門 うむ。(頭をなでる)きょうはお師匠様とこのおふるまいだったってな。
松若 あい。よく知ってるね。
左衛門 吉助《きちすけ》かたで吉坊に聞いて来た。
お兼 あの話の首尾はどうだったの。(鉄砲を塀《へい》にかけ、獲物をかたづける)
左衛門 まるでだめだ。きょうはさんざんな目にあった。朝から山を駆け回ってやっと雑鳥が三羽だろう。それから吉助の宅《うち》に寄ったが、あのやつずるいやつでね。わしが強く出ると涙をめそめそこぼして拝み倒そうとするのだよ。それでいてこっちが優しく出ようものなら、ひどい目にあわせるのだからね。全くこの辺の百姓は手に合わないよ。(着物を着換え、炉のそばに寄る)
お兼 それでどういう話になったの。
左衛門 正月までに払わなければこっちはこっちの考えを実行するからそう思えときめつけてやったよ。そしたら吉助がまっさおになったよ。おふくろはすがりついてことわりをするしね。吉也《きちや》までそばで泣きだしたよ。
お兼 まあかわいそうではありませんか。も少し待っておやりなさいな。あの宅《うち》でもほんとうに困っているのでしょうから。
左衛門 どうだか知れたものではない。わしはあの吉助《きちすけ》が心からきらいなのだ。腹の悪いくせにお追従《ついしょう》を使って。この春だってそ知らぬ顔で宅《うち》の田地の境界を狭《せば》めていたのだ。
お兼 それは吉助も悪いには悪いけれど、そうなるのもよっぽど困るからのことですわ。
左衛門 困ると言えば宅《うち》だって困ってるではないか。こっちに移って来てからというもの、不運つづきで、少しばかりの貯《たくわ》えで買った田地は大水で流れるし、松若は病気をするし、なかなか楽な渡世ではないよ。優しくしていればきりがつかないのだ。吉助ばかりではない。この辺の百姓は皆そうだ。わしは時々|自暴《やけ》になるような気がするよ。世の中の人間が皆きらいになるよ。
お兼 でもこのお正月だけは無事に祝わせておやりなさいな。あまり手荒な事をして恨みを結んだりしては寝ざめがよくないわ。人にたたかれたのでは寝られるが、人をたたいたのでは寝られないと言うではありませんか。(間)まあ御飯をおあがりあそばせ。(裏口より退場)
左衛門 松若、お前はさっきから何を見てるのだい。
松若 かあ様の絵の本だよ。仏壇の卓にあったのだ。たくさん絵があるよ。御殿やお寺の絵もあるし、鬼が火の車をひいている絵もあるし、それから……
左衛門 はあ。あの「地獄《じごく》極楽《ごくらく》のしるべ」か。
松若 地獄極楽って私知ってるよ。善《よ》いことをしたものは死んで極楽に行くし、悪い事をしたものは地獄に行くのだろう。だがあれはほんとうかい。
左衛門 皆うそだよ。そう言って戒めてあるのだよ。(考えて)もしほんとうとしたら、地獄だけあるだろうよ。はゝゝゝ。
松若 ここに子供が川ばたでたくさん石を積んで、鬼が金棒でくずしている絵があるがこれはなんだろうね。
左衛門 (暗い顔をする)それは賽《さい》の河原《かわら》と言って子供が死んだら行く所だ。
松若 私は死んだら賽の河原へ行くのかい。
左衛門 皆うそだ。つくり話だ。(松若の顔を見る)その本はもう見るのおよし。
松若 私はなんだかこの本がおもしろいよ。
左衛門 いやそれは子供の見る本ではない。(松若より絵本を取る)お前は寒いからもうお寝《やす》みよ。また風をひくといけないからな。
松若 まだ眠くないよ。
お兼 (登場。箱膳《はこぜん》の上に徳利を載せて左衛門の前に置く)お待ち遠さま。ひもじかったでしょう。さあおあがりなさい。(徳利を持つ)
左衛門 (杯をさし出し注《つ》いでもらって飲む)お兼。わしもなひどいことをするのは元来好きなたちではないのだ。小さい時から人のけんかをするのを見ても胸がドキドキしたくらいだよ。だがあんなふうにして殿様に見捨てられて、浪人になってこっちに渡って来てから、わしは世間の人の腹の悪さをいやになるほど知ったからな。人は皆悪いのだ。信じたものは売られるのだ。心の善《よ》いものはばかな目を見せられて、とても世渡りはできないのだ
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