のだろう。(ため息をつく。思い切って)しょうがない。ではさようなら。
唯円 さようなら。
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両人抱き合う、やがて離れる。かえで叢《くさむら》の陰に退場。
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唯円 (ぼんやりたたずむ、やがて木の株に腰をおろす)おゝさびしいさびしい。(頭を両ひじでささえて沈黙)
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[#地から4字上げ]――黒幕――

      第二場

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浅香居間
やや古代めいた装飾。小さな仏壇、お灯明があがっている。衣桁《いこう》に着物が掛けてある。壁に三味線が二丁、一丁には袋がかけてある。火のともった行灯《あんどん》。鏡台と火鉢《ひばち》がある。川に面して欄干あり。
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人物 かえで 浅香《あさか》(遊女) 村萩《むらはぎ》(遊女) 墨野《すみの》(遊女) 仲居
時  同じ日の宵《よい》

浅香、村萩、墨野、花合わせをしている。しばらく黙って札を引いている。
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村萩 おやもみじ。気をつけないと浅香さんが青丹《あおたん》をしますよ。
墨野 ぬかりなくてよ。あとは菊ですね。
浅香 きっとできますわ。
村萩 そら、あやめ。三本が飛び込みになりましたよ。
墨野 うまくやってるね。
村萩 あといくらも札が残ってなくてよ。
浅香 (札を引く)そら菊。(ちょっと眉根《まゆね》を寄せる)あらいやだ。桐《きり》のがら[#「がら」に傍点]だわ。
墨野 おあいにくさま。
村萩 (札を引く)そら菊。出た。
墨野 青はやぶれましたね。
浅香 くやしいわ。
村萩 (笑う)お気の毒様。
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三人しばらく沈黙して札をめくる。
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墨野 これでおしまい。
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三人点を数える。仲居登場。
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仲居 墨野さん。さっきからお座敷で呼んでいられますよ。
墨野 すぐに行きますよ。(村萩に)いま十か月ね。あと二か月ね。ついでにきり[#「きり」に傍点]をつけて行こうかしら。
仲居 たいへん待ち兼ねていらっしゃるのよ。
村萩 すぐに行かないとまたあとで悪くてよ。
墨野 しょうがないね。
仲居 ではすぐに来てください。(退場)
墨野 では行って参ります。いずれ後ほど。(退場)
村萩 二人でしましょうか。
浅香 (気の無さそうに)もう花合わせはよしましょうよ。(札をかたづけつつ)私は今晩は負けてばかりいました。(考える)ことしはどうも運勢がよくないらしい。
村萩 花合わせのようなものでも、負けると気持ちのいいものではないのね。
浅香 まったく。
村萩 あなたはこのごろおからだでも悪いのじゃなくて。
浅香 どうして?
村萩 なんだか景気がよくないのね。いつも沈んでいらっしゃるわ。
浅香 私の性分ですわ。
村萩 少しおやせなさいましたね。
浅香 そうですか。
村萩 あまり物事を苦になさるからよ。私みたようにのんき[#「のんき」に傍点]におなりなさいな。
浅香 でも何もかも情けない事だらけですもの。
村萩 それはそうよ。けれど私たちのような身で、物を苦にした日には、それこそ限りがありませんわ。
浅香 ほんとにねえ。
村萩 私も初めはあなたみたいに、考えては悲しがっていたのよ。来た当座は泣いてばかりいましたわ。けれど泣いたとて、どうもなるのではなし、くよくよ思うだけ損だと思って、いっさい考えない事にしてしまったのよ。きょう一日がどうにか過ごされさえすればいいと思うことにしたのよ。だって行く末の事を案じだしたら、心細くて、とてもこうやってはいられなくなりますもの。
浅香 私もあなたのような気分になりたいと思うのよ。またそうなるよりほかにしかたもないのですしね。けれど生まれつき苦労性とでもいうのでしょうかね。ものが気になってならないのよ。(間)私もね。もう行く末の事などそんなに考えはしないのよ。だけどきょうの一日が味気なくて、さびしくてならないの。
村萩 あなたはほんとうに陰気なかたね。あなたと話していると私までつり込まれてさびしくなるわ。そして忘れている――というよりも、忘れようと努めている不幸を新しく思い出しますわ。(間)えゝ。よしましょう。よしましょう。こんな気のめいるようなお話は。今は陽気な春ではありませんか。もっと楽しい話でもしましょうよ。
浅香 ほんに春の宵《よい》なのね。
村萩 町も春めいてずいぶん陽気になりましたよ。今晩方も店に出ていたら、格子《こうし》の外を軽そうな下駄《げた》の音などして、通る人は花のうわさをしていましたよ。
浅香 もうまもなく咲くでしょう。
村萩 皆で花見に一日行こうではありませんか。
浅香 そうね。(沈む)
村萩 それはそうとかえでさんはまだ帰らないの。
浅香 えゝ。まだですの。
村萩 どこへ行ったのでしょう。
浅香 ちょっと清水《きよみず》へお参りして来ると言って出たのですがね。
村萩 ずいぶんおそいのね。
浅香 もうおっつけ帰るでしょう。なにしろまだ子供ですからね。
村萩 そうでもないようよ。(間)実はね。おかあ[#「かあ」に傍点]さんが私に腹を立てて話してましたよ。
浅香 なんと言って。
村萩 かえでのやり方は横着だ。そのような若い小僧あがりのような者に身を入れて、家の勤めがお留守になる。お銭《あし》なしに稼業《しょうばい》をしている女と遊ぼうとするのは虫がよすぎる。ほかの客を粗末にして困ってしまう。それに浅香も浅香だって。
浅香 私の事も言ってましたか。
村萩 えゝ、浅香が仲に立って取り持っているらしい。妹分を取り締まらなくてはならない身で不都合だと言っていましたよ。
浅香 そんな事を言っていましたか。
村萩 ぷりぷりしていましたよ。気をつけないと、またあのおかあ[#「かあ」に傍点]さんがおこりだすと、しつこくてめんどうですからねえ。
浅香 それはねえ。(考え込む)
村萩 私はかえでさんは若くはあるし、ああなるのも無理はないとは思うのよ。私だって覚えの無い身ではないし。けれどかえでさんはあんまり聞き分けがなさ過ぎると思ってよ。勤めの身でいてまるで生娘《きむすめ》のような恋をしようとするのですからね。
浅香 それはおかあ[#「かあ」に傍点]さんで見れば、困る事もありましょうけれどね。
村萩 なにしろ稼業《しょうばい》になりませんからね。それにかえでさんは私なんかには何も打ち明けないで、内緒にばかりしているんですからね。こうこうだから頼むと言えば、私だって、都合をつけて、一度や二度は会わしてあげないものでもないのだけれど、あれではかわいらしくありませんからね。
浅香 お花にならずに、かくれ遊びをしているのだから、気がとがめて打ち明けられないのでしょうよ。
村萩 けれどあの人は気が高すぎます。きょうもこそこそ出かけていたから、私がどこへ行きますときいたら、白ばくれてちょっとそこまでと言うのよ。私は少ししゃくだったから、へえ、ちょっとお寺まででしょうと言ってやったのよ。そしておかあ[#「かあ」に傍点]さんのおこっている事や、勤めをだいじにせねばならない事を言ってきかせてやったのよ。そしたら、あの子の口上が憎らしいではありませんか。私は悪い事をしているのではありません。ねえさんなどとは考えが少し違うのだから、いいから、ほっといてください、とこうなのでしょう。
浅香 そんな事を言いましたかえ。帰ったら私がよく言い聞かせてやりますから、どうぞ気を悪くなさらないで、堪忍《かんにん》してやってくださいね。元来はおとなしい性質なのですからね。
村萩 あんまり私たちを軽く見ていますからね。
浅香 あの子もこのごろは思い詰めて、気が立っているのです。あのように言ったのもよくよく思い余ったのでしょうから。
村萩 あなたはかえでさんに甘すぎますよ。おかあ[#「かあ」に傍点]さんもこのあいだ言っていました。かえでの気の高いのは、浅香の仕込みだって。
浅香 そんな事はありませんわ。
村萩 なにしろ少しあなたから気をつけたほうがよくてよ。皆そう言っているのですからね。優しくするとつけあがりますからね。
浅香 気をつけましょう。堪忍してやってください。(涙ぐむ)
村萩 何も堪忍するの、しないのっていう段ではないのですけれどね。話のついでに言ったまでの事ですよ。あれではかえでさんのためにもならないと思って。
浅香 ありがとうございます。(くちびるをかむ)
村萩 そんなに気に留めなくてもいいことよ。ではまた寄せてもらいます。(立ち上がる)
浅香 まあ、いいではありませんか。
村萩 いずれまた。花合わせにのぼせてまだ夕方の身じまい[#「身じまい」に傍点]もしていませんから。
浅香 そう。ではまたいらしてください。
[#ここから5字下げ]
村萩退場。浅香、ちょっとぼんやりする。それから花合わせを箱に入れる。それからまた考え込む。やがて気を替えたように立ちあがり、鏡台の前に行きてすわる。
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浅香 (鏡を見つつ)ほんとに少しやせたようだ。(頬《ほお》に手を当てる)やせもするだろうよ。(鏡台の引き出しから櫛《くし》を出して、髪をなでつける)このようにしてなんのために身じまいをするのだろう。自分をもてあそびに来るいやな男――自分の敵《かたき》に媚《こ》びるために自分の顔形を飾らなくてはならないとは! いや、今ではもうそのような事を考えなくって、ただ習慣《しきたり》で、夕方ごとに鏡に向くのだ。それも自分の色香に自信があった間はまだよかったのだけれど。(間)髪の毛の抜けること。(櫛から髪の毛を除く)弱いからだを資本《もとで》にして、無理なからだの使い方をして働けるだけ働き抜いて、そして働けなくなったら――(身ぶるいする)えゝ、考えまい。考えまい。
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ほかの座敷から鼓の音がきこえて来る。かえで登場。浅香を見ると声をあげて泣く。
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浅香 (かえでのそばに寄り、のぞき込む)かえでさん。どうしたの。かえでさん。
かえで あんまりです。あんまりです。(身をふるわす。簪《かんざし》が脱けて落ちる)
浅香 どうしたのだえ。だしぬけに。(簪をさしてやる)まあおすわり。(かえでを火鉢《ひばち》のそばにすわらせる。自分もそのそばにすわる)
かえで (泣きやむ)おかあ[#「かあ」に傍点]さんにひどくしかられたのよ。帰ると呼びつけられて。私が悪いのよ。おそくなったのだもの。でも帰られなかったのよ。けれどあんまりな事をおっしゃるのだもの。
浅香 私もそうだろうと思いました。
かえで つかみかかるようにして、頭からどなりつけられたわ。できるだけひどい言葉を使って。私はかまわないのよ。どうせ私はおかあ[#「かあ」に傍点]さんにかけたら虫けらのようなものですもの。なんと言ったとてしかたはないのだし、もうしかられつけていますからね。けれどおかあ[#「かあ」に傍点]さんはあのかたの事を悪く悪くはたで聞いていられないような事をいうのですもの。
浅香 唯円様の事もかえ。
かえで お銭《あし》を持たずに遊ぶ者は盗人も同じ事だって。あのかたの事を台所でおさかな[#「さかな」に傍点]をくわえて逃げる泥棒猫《どろぼうねこ》にたとえました。
浅香 まあひどいことを。
かえで 私はあまり腹が立ちましたから、いいえ、あのかたは鳩《はと》のように純潔な優しいかたですと言ったのよ。すると口ごたえをするといって煙管《きせる》でぶつのですよ。
浅香 ぶったの。
かえで えゝ。ここのところを力いっぱい。(ひざをさする)そしてもういっさい外出はさせないと言いました。
浅香 ひどいことをするものだね。あの人の荒いのはいつもの
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