のです。おそらくあなたがたが一生かかってもその底に達する事はありますまい。人生の愛と運命と悲哀と――あなたがたの一生涯《いっしょうがい》かかって体験なさる内容を一つの簡単な形に煮詰めて盛り込んであるのです。人生の歩みの道すがら、振りかえるごとにこの六字の深さが見えて行くのです。(だんだん熱心になる)それを知恵が増すと申すのじゃ。経書の教義を究《きわ》めるのとは別事です。知識がふえても心の眼《め》は明るくならぬでな。もしめいめいがたが親鸞に相談なさるなら、御熟知の唱名《しょうみょう》でよろしいと申しましょう。経釈《きょうしゃく》の聞きぼこりはもってのほかの事じゃ。それよりもめいめいに念仏の心持ちを味わう事を心がけなさるがよい。人を愛しなさい。許しなさい。悲しみを耐え忍びなさい。業《ごう》の催しに苦しみなさい。運命を直視なさい。その時人生のさまざまの事象を見る目がぬれて来ます。仏様のお慈悲がありがたく心にしむようになります。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》がしっくり[#「しっくり」に傍点]と心にはまります。それがほんとうの学問と申すものじゃ。
同行五 おそれ入りました。鈍《どん》な私たちにも
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