と信心は一致するものでございましょうか。
親鸞 恋は信心に入る通路だよ。人間の純な一すじな願いをつき詰めて行けば、皆宗教的意識にはいり込むのだ。恋するとき人間の心は不思議に純になるのだ。人生のかなしみがわかるのだ。地上の運命に触れるのだ。そこから信心は近いのだ。
唯円 では私は恋をしてもよろしいのですか。
親鸞 (ほほえむ)お前の問い方は愛らしいな。私はよいとも悪いとも言わない。恋をすればするでよい。ただまじめに一すじにやれ。
唯円 あなたも恋をなさいましたか。
親鸞 うむ。(間)私が比叡山《ひえいざん》で一生懸命修行しているころであった。慈鎮和尚《じちんかしょう》様の御名代《ごみょうだい》で宮中に参内《さんだい》して天皇の御前で和歌を詠《よ》ませられた。その時の題が恋というのだよ。ところがあまた公家《くげ》たちの歌よみの中で私のがいちばんすぐれているとて天皇のお気に召したのだよ。そして御褒美《ごほうび》をばいただいた。私は恐縮してさがろうとした。すると公家《くげ》の中の一人がかような歌をよむからにはお前は恋をしたのに相違ない。恋をした者でなくてはわからぬ気持ちだ。どうだ恋をした事があ
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