の人々を責めようとする。ちょうど愛におぼれる母親が悪戯《わるさ》をする子供を擁して、あわれな子守《こもり》をしかるように。私は私の心のその弱みを知っている。それを知っているだけ私は善鸞を許し難いのだ。私は善鸞のために死んだ女の家族と、女の夫と、その家族と――すべて善鸞を呪《のろ》っている人々の事を思わずにはいられない。「あなたの子のために……」とその人々の目は語っている。「私の子のために……」と私はわびずにはいられない。ことに私はその人々を愛していないのだからね。私はあの子に会わなくともあの子を愛していないとの苛責《かしゃく》は感じない。それほど私はあの子を心の内では愛しているのだ。
唯円 私はせつなくなります。私はわからなくなります。
親鸞 その上私の弟子《でし》たちにも私が善鸞に会う事を喜ばぬもののほうが多いのだ。先刻も知応《ちおう》と永蓮《ようれん》とが来て私に会わぬように勧めて行った。
唯円 まあ、あなたのお心も察しないで。
親鸞 私のためを思って言ってくれたのだ。けれどすまぬ事だがそれは耳に快く響かなかった。
唯円 皆はなぜそのような考え方をするのでしょうねえ。
親鸞 お前の
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