び目にぽつり一個の生をうけているのが私たちなのだもの、不調和な運命を生まれながらに負わされているのだ。その上私たちが作る罪や過失の報いはいつまでも子孫の末に伝わって消えないのだ。
唯円 私たちの存在は実に険悪なものですね。
親鸞 仏様がましまさぬならば、私はだれよりも先にだれよりもはげしく、私たちの存在を呪《のろ》うであろう。だが仏様の恩寵《おんちょう》はこの世に禍悪があればあるだけ深く感じられる。世界の調和はいっそう複雑な微妙なものになる。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》はいっさいの業《ごう》のもつれを解くのだ。
唯円 その南無阿弥陀仏を信ずる事ができないと善鸞様はおっしゃるのです。
親鸞 なぜにな。
唯円 私はその理由を聞いてどんなに感動したでしょう。善鸞様は御自分がそれに相当しないほど強く自分を責めていられるのです。自分のようにきたない罪を犯しながら、このまま助かることを願うほど自分はあつかましくなっていないと言われました。「せめてそれは私の良心です、私の誇りです」とおっしゃった時には涙が光っていました。父のように清い人間には念仏はふさわしいが、私のような汚れたものにはむしろ難行苦
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