生《おうじょう》の一義が心にかかるからでございます。私たちはぜひとも今度の後生《ごしょう》の一大事が助けていただきたいのでございます。皆に代わって私が一向《ひとむき》にお願い申します。何とぞ往生の道をお教えくださいませ。
親鸞 さほどに懸命に道を求めなさるのは実に殊勝に存じます。私はいつも世の人が信心を軽《かろ》い事に思うのを不快に感じています。信心は一大事じゃ。真剣勝負じゃ。地獄と極楽との追分《おいわけ》じゃ。人間がいちばんまじめに対せねばならぬ事だでな。だが、あなたがたは国のお寺では聴聞《ちょうもん》なされませぬかの。
同行二 毎度聴聞いたしています。
親鸞 どのように聴聞していられます。
同行三 阿弥陀《あみだ》様に、何とぞ今度の後生《ごしょう》を助けたまわれとひとすじにお願い申せばいかなる悪人も必ず助けてくださると、こう承っていますので。
親鸞 そのとおりです。それでよろしい。
同行四 そこまではたびたび聞いてよく承知いたしています。それから先を詳しく教えていただきたいので。
親鸞 それを聞いて何になさるのじゃ。
同行五 極楽参りがいたしたいので。
親鸞 極楽参りはお国で聴聞なされてよく御承知のとおりの念仏で確かにできるのです。
同行六 でもなんだか不安な気がしまして。
親鸞 安心なさい。それだけで充分です。
同行一 あなたの御安心《ごあんじん》が承りたいので。
親鸞 私の安心もただその念仏だけです。
同行二 でもあまり曲《きょく》がなさ過ぎます。
親鸞 その単純なのが当流の面目です。単純なものでなくては真理ではありません。また万人の心に触れる事はできません。
同行三 ではございましょうが、あなたは長い間|比叡山《ひえいざん》や奈良《なら》で御研学あそばしたのでございましょう。私たち無学な者にはわからぬかは存じませぬが、御教養の一部をお漏らしなされてくださいませ。
同行四 それを承りにはるばる参ったのでございます。
同行五 国のみやげにいたします。
親鸞 (まじめな表情になる)いやそのさまざまの学問は極楽参りの邪魔にこそなれ助けにはなりません。信心と学問とは別事です。たとい八万の法蔵を究《きわ》めたとて、極楽の門が開けるわけではありません。念仏だけが正定《しょうじょう》の業《ごう》です。もしおのおのがたが親鸞はむつかしき経釈《きょうしゃく》をもわきまえ、あるいは往生《おうじょう》の別の子細をも存じおるべしと心憎くおぼしめして、はるばる尋ねていらしたのならば、まことにお気の毒に思います。私は何もむつかしい事は存じませぬのでな。その儀ならば南都|北嶺《ほくれい》にゆゆしき学者たちがおられます。そこに行ってお聞きなされませ。
同行一 御謙遜《ごけんそん》なるお言葉に痛み入ります。なおさらゆかしく存じます。
同行二 北嶺一の俊才と聞こえたるあなた様、なんのおろそかがございましょう。
親鸞 北嶺南都で積んだ学問では出離の道は得られなかったのです。私は学問を捨てたのです。そして念仏申して助かるべしと善《よ》き師の仰せを承って、信ずるほかには別の子細はないのです。
同行三 それは真証でござりますか。
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一同不審の顔つきをしている。
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親鸞 何しに虚言を申しましょう。思わせぶりだとおぼしめしなさるな。およそ真理は単純なものです。救いの手続きとして、外から見れば念仏ほど簡単なものはありませぬ。ただの六字だでな。だが内からその心持ちに分け入れば、限りもなく深く複雑なものです。おそらくあなたがたが一生かかってもその底に達する事はありますまい。人生の愛と運命と悲哀と――あなたがたの一生涯《いっしょうがい》かかって体験なさる内容を一つの簡単な形に煮詰めて盛り込んであるのです。人生の歩みの道すがら、振りかえるごとにこの六字の深さが見えて行くのです。(だんだん熱心になる)それを知恵が増すと申すのじゃ。経書の教義を究《きわ》めるのとは別事です。知識がふえても心の眼《め》は明るくならぬでな。もしめいめいがたが親鸞に相談なさるなら、御熟知の唱名《しょうみょう》でよろしいと申しましょう。経釈《きょうしゃく》の聞きぼこりはもってのほかの事じゃ。それよりもめいめいに念仏の心持ちを味わう事を心がけなさるがよい。人を愛しなさい。許しなさい。悲しみを耐え忍びなさい。業《ごう》の催しに苦しみなさい。運命を直視なさい。その時人生のさまざまの事象を見る目がぬれて来ます。仏様のお慈悲がありがたく心にしむようになります。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》がしっくり[#「しっくり」に傍点]と心にはまります。それがほんとうの学問と申すものじゃ。
同行五 おそれ入りました。鈍《どん》な私たちにも
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