信じていますから。
僧二 私はきょう話そうと思います。皆様はこの法悦の味を知っていますか。もしこの味を知らないならば、たとい皆さんは無量の富を積んでいようとも、私は貧しい人であると断言いたしますと。(肩をそびやかす)
僧三 それは思い切った、強い宣言ですな。
僧二 若いむすこや娘たち――私は言おうと思います。皆様はこの法悦の味を知っていますか。もしこの味を知らないならばたとい皆様は楽しい恋に酔おうとも、私は哀れむべき人々であると断言いたします。
僧三 若い人々は耳をそばだてるでしょうね。
僧二 私からなんでも奪ってください――私は言おうと思います。富でも名誉でも恋でも。ただしかしこの法の悦びだけは残してください。それを奪われることは私にとっては死も同じ事です。
僧一 ちょうど私の言いたい事をあなたは言ってくださるようにいい気持ちがします。
僧三 私も同じ心です。その悦《よろこ》びがなくては私たちは実にみじめですからね。僧ほどつまらないものはありませんからね。私もその悦びで生きているのです。
僧二 私はその悦びは私たちの救われている証拠であると言おうと思います。私たちはこの濁《けが》れた娑婆《しゃば》の世界には望みを置かない。安養の浄土に希望をいだいている。私たちは病気をしても死を恐れることはない。死は私たちにとって失でなくて得である。安養の国に往《ゆ》いて生きるのだからである。このような意味の事を話そうと思うのです。
僧三 それは皆ほんとうです。私たち信者の何人も経験する実感です。
僧一 昔からの開山たちが、一生涯《いっしょうがい》貧しくしかも悠々《ゆうゆう》として富めるがごとき風があったのは、昔心の中にこの踴躍歓喜《ゆやくかんぎ》の情があったからであると思います。
僧二 唯円殿、あなたは何を考え込んでいられますか。
僧三 たいそう沈んでいらっしゃいますね。
僧一 顔色もすぐれませんね。お気分でも悪いのではありませぬか。
唯円 いいえ、ただなんとなく気が重たいのでございます。
僧三 そのように気のめいる時には仏前にすわって念仏を唱えてごらんなさい。明るい、さえざえした心になります。
唯円 さようでございますか。
僧一 大きな声を出してお経を読むとようございます。
僧二 一つは信心の足りないせいかもしれません。気を悪くなさいますな。私は年寄りだから言うのですからね。だが仏様のお慈悲をいただいていればいつも心がうれしいはずですからね。いつも希望が満ちていなくてはなりません。また仏様の兆載永劫《ちょうさいようごう》の御苦労を思えば、感謝の念と衆生《しゅじょう》を哀れむ愛とが常に胸にあふれていなくてはなりませんからな。法悦《ほうえつ》のないのは信心の獲得《ぎゃくとく》できていない証《あかし》だと思います。気を悪くなさいますな。いや若い時はだれでもそんなものですよ。
僧一 おやお勤めの始まる鐘がなっています。
僧二 本堂のほうへ参らなくてばなりません。
僧三 ではごいっしょに参りましょう。唯円殿は?
唯円 私はお師匠様のお給仕をいたしますので。
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三人の僧退場。唯円しばらく沈黙。やがて茶器を片付け、立ちあがり、廊下にいで、柱に身をよせかけ、ぼんやりして下の道路を見ている。商家の内儀と女中と下の道路の端に登場。
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内儀 きょうはたくさんなお参りだね。
女中 いいお天気でございますからね。
内儀 ずいぶんほこりが立ちますね。(眉《まゆ》をひそむ)
女中 お髷《ぐし》が白くなりましたよ。
内儀 そうかえ。(手巾《てぬぐい》を出して髷《まげ》を払う)少し急いで歩いたものだから、汗がじっとりしたよ。(額や首をふく)
女中 ほんに少し暑すぎるくらいですね。
内儀 線香に、米袋に、お花、皆ありますね。
女中 皆ちゃんとそろっています。
内儀 おやお勤めの鐘がなってるよ。
女中 ちょうどよいところへ参りました。
内儀 早く本堂のほうに行きましょう。(道路の向こうの端に退場)
親鸞 (登場。唯円の後ろに立つ)唯円、唯円。
唯円 (振り向く。親鸞を見て顔を赤くする)
親鸞 そんなところで何をしている。
唯円 ぼんやり町を通る人を見ていました。
親鸞 きょうはよいお天気じゃの。
唯円 秋にしては暑いくらいでございます。
親鸞 たくさんな参詣人じゃの。
唯円 はい。ここから見ているといろいろな人が下を通ります。
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丁稚《でっち》二人登場。角帯をしめ、前だれをあて、白足袋《しろたび》をはいている。印のはいったつづらを載せた車を一人がひき、一人が押している。
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丁稚一 もっとゆっくり
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