ている。お前の目に不浄のある限りは。
人間 弓矢にかけても。
顔蔽いせる者 あわれなものよ!
人間 (手をのばして顔蔽いをとろうとする)
顔蔽いせる者 その手に禍《わざわ》いあれ!(遠雷きこゆ)
人間 (ひざまずく)
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幻影の列あらわる。
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顔蔽いせる者 見よ。
人間 鳥や獣やはうものの列がすぎる。鷲《わし》は鳩《はと》を追い、狼《おおかみ》は羊をつかみ、蛇《へび》は蛙《かえる》をくわえている。だがあの列の先頭に甲冑《かっちゅう》をかぶり弓矢を負うて、馬にのって進んでいるのは人間のようだ。
顔蔽いせる者 彼は全列を率いている。
人間 あれは征服者だ。
顔蔽いせる者 そして哀れなもののなかの最も哀れなものだ。
人間 あ、馬に拍車をあてた、全列は突進しだした。(凶暴なる音楽おこる)まるであらしのように。あんなに急いでどこに行くのだろう。
顔蔽いせる者 滅亡へ。すべての私を知らないものの行くところへ。
人間 おゝ。
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列通過す。あらしのごとき音楽次第におだやかになり、静かに夢のごとき調子となる。新しき幻影現わる。
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顔蔽いせる者 見よ。
人間 若い男と女だな。男はたくましい腕の中に女を抱いている。そして女は男の胸に顔をうずめている。玉のような肩に黒髪がふるえている。甘いさざめきに酔っているのだろう。
顔蔽いせる者 よく見よ。
人間 (熟視す)あゝ泣いているのだ。男は女をはなしてため息をついている。さびしそうな顔。
顔蔽いせる者 幸福の破れるのを知りかけているのだ。
人間 あなたを呼んでいるのではありませんか。
顔蔽いせる者 わしに気がつきかけているのじゃ。しかし、わしを呼ぶのを自らさけているのじゃ、自分をいつわっているのじゃ。
人間 男はふたたび女を抱こうとしました。けれど女はこのたびは突きのけました。そして男を呪《のろ》うています。男は女を捕えました。無理に引っぱって崖《がけ》のそばに行きました。……あゝあぶない。……(叫ぶ)あッ。
顔蔽いせる者 わしをまっすぐに見ないものの陥るあやまちじゃ。(音楽やみ、幻影消ゆ)
人間 私はあなたをみとめています。あなたをまっすぐに見ています。あなたの本体を知りたいと願っています。
顔蔽いせる者 小猿《こざる》の知識でな。ものの周囲をまわるけれど決してものの中核にはいらない知識でな。
人間 私はあなたの力を認めます。あなたの破壊力を。あなたは何のために、ものをこわすのですか。
顔蔽いせる者 それはこわれないたしかなものを鍛え出すためじゃ。
人間 私はそのたしかなものを求めます。私があなたを知って以来あなたにこわされないものを捜しています。
顔蔽いせる者 見つかったかな。
人間 まだ。たしかなと思ったものはみなあなたがこわしてしまいましたから。征服欲も友情も、恋も学問も。
顔蔽いせる者 こわれるものはみなこわすのがわしの役目じゃ。(間)
人間 たしからしいものを見つけました。今度は大丈夫のつもりです。
顔蔽いせる者 何ものじゃ。
人間 子供です。たとえ私は衰えて死滅しても、わたしの子供は新しい力で生きるでしょう。私の欲望を子供の魂のなかに吹きこみます。
顔蔽いせる者 お前はまだ知らないな。
人間 え。
顔蔽いせる者 お前のむすこは死んだぞ。
人間 えっ。(まっさおになる)そんなことがあるものか。
顔蔽いせる者 凶報が来るのにまもあるまい。
人間 達者で勉強しているという手紙が来たのはけさのことです。
顔蔽いせる者 午《ひる》すぎに死んだのだ。
人間 うそだ。
顔蔽いせる者 (沈黙)
人間 (熟視す)あゝあなたの態度にはたしかさがある。(絶望的に)だめだ!
顔蔽いせる者 さようなら。
人間 (あわてる)待ってください。せがれは病気をかくしていたのですね。あわれな父に心配させまいと思って。
顔蔽いせる者 組でいちばん元気だった。
人間 決闘しましたか。無礼な侮辱者を倒すために。あれは名誉を重んじたから。
顔蔽いせる者 いいや。
人間 ではどうして?
顔蔽いせる者 煙突から落ちたのだ。
人間 (失神したるがごとく沈黙)
顔蔽いせる者 二分間前まで日あたりのよい芝生《しばふ》の上で友人とたのしく話していた。その時友の一人がふとした思いつきで、たれか煙突にのぼって見せないかと言った。お前の子はこれもほんの気まぐれに、一つは友だちを笑わせようという人のいいおどけた心で、快活に、「やってみよう」といってのぼりはじめた。仲間はその早わざをほめた。ところで、てっぺんのところの足止めの釘《くぎ》が腐っていたのだ。
人間 おゝ。
顔蔽いせ
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