があるかい。わしは世渡りの巧みな性質に生まれて来ていないのだ。この性質を鍛え直さなくては世渡りができないのだ。妻子を養い外の侮辱を防ぐ事ができないのだ。(気をいら立てる)もっと悪に耐えうる強い性格にならなくてはならないのだ。おれはおかげでだんだん悪くなれそうだよ。昔は人様に悪く言われると気になって夜も眠られなかったものだ。今は悪く言われても平気だよ。いや気持ちがいいくらいだよ。おれも強くなったなと思うのでな。鉄砲で鳥や獣を打つのでも鶏をつぶすのでも、初めはいやでならなかったが今ではなんでもなくなった。(酒を飲む)
お兼 私はあなたに言おうと思っていたのです。後生だから猟はもうよしてくださいな。私|殺生《せっしょう》は心からいやですのよ。猟をしなくっては食べていけないというのではなし。
左衛門 初めはいやいややったのが、今ではおもしろくてやめられないのだ。向こうの木の枝に鳥がいる。あれはもうおれのものだと思うと勝ち誇ったような愉快な気がする。殺すも生かすもおれの心のままだでな。バタバタ落ちて来たやつを拾い上げて見ると、まだ血が翼について温《あたた》かいよ。たまには翼を打たれて落ちてバタバタしてまだ生きているのもあるよ。そのような時には長く苦しませずに首をねじって参らせてやるのだ。
お兼 私そんな話を聞くのはもういやですからよしてください。私のおかあさんは生きてるとき生き物を殺すのをどんなにいやがったか知れません。あんなに信心深かったのですからね。私などはおかあさんのしつけのせいか、殺生は心からいやですわ。あなたが庭で鶏をつぶしなさる時のあの鳴き声のいやな事といったらありませんわ。それに(松若のほうをちょっと見て)それに私はなんだかあのように松若の弱いのは、あなたが殺生をしだしてからのような気がするのですよ。
左衛門 そんなばかな事があるものか。お前の御幣《ごへい》かつぎにもあきれるよ。
お兼 それにあなたは、信心気がありませんからね。せめて朝と晩とだけはお礼だけでもなさいましな。私などは一度でも拝むのを怠ると気持ちが悪くていけませんわ。ほんに行く末が案じられますわ。このような事では運のめぐって来ないのも無理はありませんわ。
左衛門 仏様を拝んだところでしかたがないよ。わしは仏像と面《かお》を見合わせてすわるのがつらいのだよ。(間)今晩は変な気がしてちょっとも酔えないよ。お前が陰気な話ばかりするものだから。もっと酔わなくては。(酒を杯に二、三杯続けて飲む)
お兼 そんな無茶に飲むのはおよしなさいな。(左衛門を心配そうに見つつちょっと沈黙)私はほんとに心細くなるわ。(戸の外をあらしの音が過ぎる)ひどい吹雪《ふぶき》ですねえ。
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左衛門は手酌《てじゃく》でチビリチビリ飲んでいる。お兼は黙って考えている。松若は本を見ている。親鸞、慈円、良寛、舞台の右手より登場。墨染めの衣に、笈《おい》を負い草鞋《わらじ》をはき、杖《つえ》をついている。笠《かさ》の上には雪が積もっている。
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慈円 たいへんな吹雪になりましたな。
良寛 だんだんひどくなるようでございます。
慈円 お師匠様。あなたはたいそうお疲れのように見えますな。
良寛 おん衣の袖《そで》はしみて氷のように冷とうなりました。
親鸞 もう日も暮れてだいぶになるな。
慈円 雪で道もふさがってしまいました。
良寛 私はもう歩く力がございません。
親鸞 ではこのあたりで泊めてもらおうかな。
慈円 この家で一夜の宿を乞《こ》うてみましょう。
良寛 ほかの家も見あたりませんね。(戸口に行き戸をたたく)もし、もし。
松若 (耳を澄ます)とうさん。だれか戸をたたくよ。
お兼 風の音だろう。
左衛門 この吹雪に外に出るものは無いからな。
松若 いんや。確かにだれか戸をたたいてるよ。
良寛 (戸を強くたたく)もしもし。お願い申します。お願い申します。
お兼 (耳を澄ます)ほんとに戸をたたいてるね。だれか人声がするようだ。(庭におり戸を開く)どなた様で?(三人の僧を見る)何か御用でございますか。
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松若母の後ろより好奇心でながめて立っている。
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良寛 旅の僧でございますが、この吹雪《ふぶき》で難儀いたしております、誠に恐れ入りますが、一夜の宿をお願いいたす事はできますまいか。
お兼 それはお困りでございましょう、もう十丁ほどおいでなされば宿屋がございます。
慈円 あの私たちは托鉢《たくはつ》いたして歩きますものでお金《あし》を持っておりませんので。
良寛 どのような所でもただ眠ることさえできればよろしいのでございますが。
お兼 
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