そうする義務があると思います。しかるに唯円殿は私たちの理を尽くしての意見も用いず、今の身持ちをあらためる気はないと宣言しました。理不尽ではありませんか。あまつさえ私たち長者に向かって非難の口気を示しました。善鸞様|御上洛《ごじょうらく》のみぎりにも、私は間違いがあってはならないと思って幾度あの人を戒めたか知れません。私を軽《かろ》く見ています。私はこれまで多くの弟子衆をあずかりましたが、あの人のようなのは初めてです。
親鸞 (黙然として考えている)
僧二 いや。たしかに上を侮る傲慢《ごうまん》な態度でしたよ。あれでは永蓮《ようれん》殿の御立腹は決して無理はないと思います。
僧三 お師匠様の袖《そで》にかくれて自分の罪を掩《おお》おうとするのは最もいけないと思いました。
親鸞 日ごろおとなしいたちだがな。
僧二 そのおとなしいのがくせものですよ。小さな悪魔はしばしばみめよき容《かたち》をしていますからな。おそれながら、お師匠様は唯円殿を信じ過ぎていらっしゃいませんでしょうか。(躊躇《ちゅうちょ》しつつ)寵愛《ちょうあい》があまると申しているお弟子《でし》たちもございます。
親鸞 しかしだれでもあやまちというものはあるものだからな。
僧一 (不服そうに)しかしそのあやまちは悔い改められなくてはなりません。唯円殿はそのあやまちを悔いないのみか、それを重ねて行く、それも意識的にそうする、それを宣言する――まったく私は堪えられません。私は今日まで長い間お寺のために働いて来ました。幸いに当流は今日の繁盛をきたしました。だがもう法の威力は衰えかけて来ました。嘆かわしいことでございます。私はもうお弟子衆をしずめる威厳を失いました。唯円殿と一つお寺に住むことを私は恥と思います。唯円殿がお寺にいるなら、私はお暇《いとま》をねがいます。(涙ぐむ)
親鸞 (あわれむように僧一を見る)お前はお寺を出てはいけません。お前がどれほど寺のために働いたか私はよく知っています。お前は私と今日まで辛苦をともにして来てくれた。この後もいつまでも私を助けておくれ。
僧一 私はいつまでも寺にいたいのです。
僧二 では唯円殿はお寺を出るのですね。
僧三 それは無論の事ではありませんか。
親鸞 唯円も寺を出すことはできません。
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三人の僧親鸞を見る。
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親鸞 お前たちのいうのはつまり唯円は悪人だから寺から出せというのだろう。私は悪人ならなおさら寺から出せないと思うのだ。私やお前たちの愛の守りのなかにいてさえ悪い唯円を、世の中の冷たい人の間に放ったらどうだろう。だんだん悪くなるばかりではないか。世の人を傷つけないだろうか。悪いということは初めから知れているのだよ。どこに悪くない人間がいる。皆悪いのだよ。ほかの事ならともかくも悪いからというのは理由にならない。少なくともこのお寺では。このお寺には悪人ばかりいるはずだ。この寺がほかの寺と違うのはそこではなかったか。仏様のお慈悲は罪人としての私たちの上に雨とふるのだ。みなよく知っているはずじゃ。あまり知りすぎて忘れるのじゃ。な。永蓮《ようれん》。お前とこの寺を初めて興したときの事を覚えているか。
僧一 よく覚えています。
親鸞 私はあのころの事が忘れられない。創立者の喜びで私たちの胸はふるえていたっけね。お前のおかげで道俗の喜捨は集まった。この地を卜《ぼく》したのもお前だった。
僧一 棟上《むねあ》げの日のうれしかったこと。
親鸞 あの時私とお前と仏様の前にひざまずいて五つの綱領を定めたね。その第一は何だった。
僧一 「私たちはあしき人間である」でございました。
親鸞 そのとおりだ。そして第二は?
僧一 「他人を裁かぬ」でございました。
親鸞 その綱領で今度のことも決めてくれ。善《よ》いとか悪いとかいうことはなかなか定められるものではない。それは仏様の知恵で初めてわかることだよ。親鸞は善悪の二字総じてもて存知せぬのじゃ。若い唯円が悪ければ仏様がお裁きなさるだろう。
僧一 (沈黙して首をたれる)
僧二 でもあまりの事でございます。
親鸞 裁かずに赦《ゆる》さねばいけないのだ。ちょうどお前が仏様にゆるしていただいているようにな。どのような悪を働きかけられても、それをゆるさねばならない。もし鬼が来てお前の子をお前の目の前でなぶり殺しにしたとしても、その鬼をゆるさねばならぬのじゃ。その鬼を呪《のろ》えばお前の罪になる。罪の価は死じゃ。いかなる小さな罪を犯しても魂は地獄に堕《お》ちねばならぬ。人に悪を働きかけることの悪いのは、その相手をも多くの場合ともに裁きにあずからせるからじゃ。お前は唯円を呪わなかったろうか。お前の魂は罪から自由であったろうか。ゆる
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