び繰り返さる、一同|礼拝《らいはい》す、沈黙。立ち上がり無言のまま左右の襖《ふすま》をあけて退場。舞台しばらく空虚。小僧登場。夕ぐれの鐘をつく。この所作二分間かかる。無言のまま退場。
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唯円 (登場。青ざめて、目が充血している)もうお勤めは済んだそうな。(ため息をつく。さえた柝《たく》の音がきこえてくる)あ、(耳をすます)庫裏《くり》で夕食を知らせる柝が鳴っている。(仏壇の前にくず折れる)あゝ心のなかから平和が去った。静けさが――あのしめやかに、落ちついた心はどこへ行ったのだろう。だれもいない本堂の、この経机の前にひざまずいて夕べごとの祈りをささげたとき、私のこころはどんなに平和であったろう。あの香炉から立ちのぼる焚《た》きもののにおいのように、やわらかにかおっていた私のたましいはどうなったのだろう。小さな胸を抱くようにして私はその静けさを守っていた。(間)このごろの私のふつつかさ、こころはいつも乱れて飢えている。もう何日眠られぬ夜がつづくことだろう。朝夕のお勤めさえも乱れた心でおこたりがちになっている。たましいはまるで野ら犬のようにうろうろして落ちつかぬ。そうだ野ら犬のようだときょう松《まつ》の家《や》のお内儀《かみ》があざけった。(身をふるわす)物ほしそうな顔をして、人目をおそれて裏口から忍び込もうとするものは、宿無し犬のようだと言った。おゝこの墨染めの衣を着て、顔を赤くして、おどおどと裏口に立っていたのだ。侮辱されてもなんとも得言わずに。みじめな私の姿は犬にも似ていたろう。こじき犬にも。(泣く)
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僧三人、登場。唯円涙をかくし、立ちあがろうとする。
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僧一 唯円殿。
唯円 はい。(立ち止まる)
僧一 少しお話があります。お待ちください。
僧二 あなたのお帰りを待っていたのです。
僧三 まあおすわりなされませ。
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僧三人すわる。
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唯円 (おずおずすわる)何か御用でございますか。お改まりあそばして。
僧一 実はちと伺いたい儀がありまして。(唯円の顔を見る)どうなされました。お顔色がひどく悪い。
僧二 目が血走っていますが。
唯円 …………
僧三 きょうはどちらへお越しなされました。
唯円 木屋町のほうまで。おそくなりまして。
僧一 木屋町のどこに?
唯円 …………
僧二 お勤めを怠りなさるのももうたびたびの事でございます。
唯円 相すみません。(涙ぐむ)
僧三 気をつけてもらわなくては困ります。
僧一 まだお若いとは申しながら。…………
僧二 いや、若い時こそ精進《しょうじん》の心がさかんでなくてはなりません。私たちの若い時には、皆一生懸命に修業したものでしたよ。朝は日の出ぬ前に起きて、朝飯までには静座をして心を練りました。夜はおそくまで経を学んで、有明《ありあけ》の月の出るのを知らなかった事もありました。お勤めを怠るというような怠慢な事は思いも寄らぬ事でしたよ。
僧三 なにしろ今時の若いお弟子《でし》たちとは心がけが違っていましたからね。このように懈怠《けたい》の風《ふう》の起こるのは実に嘆かわしいことと思います。身に緇衣《しえ》をまとうものが女の事を――あゝ私はとうとう言ってしまいました。
僧一 いや言うべき事は言わなくてはなりません。きょうまでは黙っていましたけれど、いつまでもほっておいては唯円殿のおためでありません。だいいち法の汚れになります。(声を強くする)唯円殿、あなたはきょう木屋町の松《まつ》の家《や》にいらしたのでしょう。
僧二 そしてかえでとやら申す遊《あそ》び女《め》のところに。
唯円 …………
僧三 何もかもわかっているのです。六角堂に参詣するとか、黒谷《くろだに》様に墓参のためとか言って、しげしげと外出《そとで》あそばしたのは皆その女と逢引《あいびき》するためだったのでしょう。
唯円 すみません。すみません。
僧二 私はとくからあなたのそぶりを怪しいと思っていたのです。いや、今はもうお弟子衆《でししゅう》でそれに気のつかぬものはありません。三人集まればあなたの事を話しています。
僧三 若いお弟子たちはうらやましがりますからな。私たちみたような年寄りはよろしいけれど。このあいだも控えの間を通っていたら、ふと耳にしたのですが、唯円殿はお師匠様の(変に力を入れる)秘蔵弟子で、美しい女には思われるし、果報者だと申していました。
僧二 (からかうように)あなたの事を陰では墨染めの少将と申しています。
唯円 (くちびるをかむ)おなぶりあそばすのですか?
僧二 い
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