た。(ほれぼれと唯円の顔を見る)ほんとうにいつまでもあなたのおそばにいられるようにしてくださいよねえ。
唯円 きっとそうしますよ。
かえで おゝ、うれしい。そしたら私あなたを大切にしてよ。
[#ここから5字下げ]
この時夕暮れの鐘が殷々《いんいん》として鳴る。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
かえで (立ち上がる)私きょうはもう帰らないといけないのよ。
唯円 も少しいらっしゃいよ。
かえで でもおそくなると困るのですもの。
唯円 ではちょっとの間。あの夕日があの楠《くす》の木の陰になるまで。私は帰しませんよ。(さえぎるまねをする)
かえで (すわる)私も帰りたくなくてしょうがないのよ。
[#ここから5字下げ]
二人しばらく沈黙。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
唯円 かえでさん。
かえで はい。
唯円 かえでさん。かえでさん。かえでさん。
かえで まあ。(目をみ張る)
唯円 あなたの名がむやみと呼んでみたいのです。いくら呼んでも飽きないのです。
かえで (涙ぐむ)私はあなたといつまでも離れなくてよ。墓場に行くまで。
唯円 私は恋の事を思うと死にたくなくなります。いつまでも生きていたくなります。
かえで でも人は皆死ぬのね。このたくさんな墓場を御覧あそばせ。
唯円 私は恋をしだしてから、変に死の事が気になりだしました。(ひとり言のごとく)恋と運命と死と、皆どこかに通じた永遠な気持ちがあるような気がする。(考える)もしかすると私は若死にかもしれない。
かえで どうして?
唯円 私は病身ですもの。
かえで そんな事があるものですか。
[#ここから5字下げ]
両人ちょっと沈黙。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
かえで もうお日様が楠《くす》の木にかかりました。(立ち上がる)
唯円 あゝしかたがない。(立ち上がる)
かえで では帰りますわ。
唯円 今度はいつ。
かえで きめられませんわ。あとでお手紙で知らせますわ。
唯円 できるだけ早く。
かえで えゝ。ほんとうに手紙を取りに来てくださる?
唯円 きっと行きます。口笛を吹きますからね。
かえで これからお寺へ帰ってどうなさるの。
唯円 晩のお勤めに仏様を拝むのです。
かえで あゝ。私はまた歌をうたわねばならぬのだろう。(ため息をつく。思い切って)しょうがない。ではさようなら。
唯円 さようなら。
[#ここから5字下げ]
両人抱き合う、やがて離れる。かえで叢《くさむら》の陰に退場。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
唯円 (ぼんやりたたずむ、やがて木の株に腰をおろす)おゝさびしいさびしい。(頭を両ひじでささえて沈黙)
[#ここで字下げ終わり]
[#地から4字上げ]――黒幕――
第二場
[#ここから3字下げ]
浅香居間
やや古代めいた装飾。小さな仏壇、お灯明があがっている。衣桁《いこう》に着物が掛けてある。壁に三味線が二丁、一丁には袋がかけてある。火のともった行灯《あんどん》。鏡台と火鉢《ひばち》がある。川に面して欄干あり。
[#ここから5字下げ]
人物 かえで 浅香《あさか》(遊女) 村萩《むらはぎ》(遊女) 墨野《すみの》(遊女) 仲居
時 同じ日の宵《よい》
浅香、村萩、墨野、花合わせをしている。しばらく黙って札を引いている。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
村萩 おやもみじ。気をつけないと浅香さんが青丹《あおたん》をしますよ。
墨野 ぬかりなくてよ。あとは菊ですね。
浅香 きっとできますわ。
村萩 そら、あやめ。三本が飛び込みになりましたよ。
墨野 うまくやってるね。
村萩 あといくらも札が残ってなくてよ。
浅香 (札を引く)そら菊。(ちょっと眉根《まゆね》を寄せる)あらいやだ。桐《きり》のがら[#「がら」に傍点]だわ。
墨野 おあいにくさま。
村萩 (札を引く)そら菊。出た。
墨野 青はやぶれましたね。
浅香 くやしいわ。
村萩 (笑う)お気の毒様。
[#ここから5字下げ]
三人しばらく沈黙して札をめくる。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
墨野 これでおしまい。
[#ここから5字下げ]
三人点を数える。仲居登場。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
仲居 墨野さん。さっきからお座敷で呼んでいられますよ。
墨野 すぐに行きますよ。(村萩に)いま十か月ね。あと二か月ね。ついでにきり[#「きり」に傍点]をつけて行こうかしら。
仲居 たいへん待ち兼ねていらっしゃるのよ。
村萩 すぐに行かないとまたあと
前へ
次へ
全69ページ中43ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング