使いから、お掃除《そうじ》から、使わねば損のように皆が追い使いました。私はいっそ死んでしまおうと思った事もありました。
唯円 そうまで思い詰めましたか。
かえで えゝ。お皿《さら》を一枚こわしたと言って、ひどく、しつこくしかるのですもの。犬だの、青猿《あおざる》だのとののしるのですもの。それでも私は黙ってお庭のお掃除をしました。でも口ごたえでもしょうものなら、それこそたいへんな目にあうのですからね。私はちり取りを持ってごみ[#「ごみ」に傍点]捨てに川原に出ました。そして川の水の流れるのを見て立ちつくしました。その時私は死んでしまおうかと思いました。
唯円 ほんとにねえ。
かえで ねえさんがいてくださらなかったら、私はきっとあのころ死んでいたでしょう。
唯円 浅香さんはよくしてくれましたか。
かえで えゝ。影になり、日向《ひなた》になり、私をかぼうてくださいました。(間)私より小さい人が新しく来てからは私は少しはらくになりました。けれど今度はいやないやな事を強《し》いられました。
唯円 それはもう言わないでください。言わないでください。(目をつむる)
かえで こらえてください。私はあなたよりほかにこのような話をする人はないのですから。ついつり込まれて、身の上話をいたしました。
唯円 いいえ。私はただなんと言ってあなたを慰めていいか、わからないのがつらいのです。どうぞ耐え忍んでください。私はそういうよりありません。悲しいのはあなたばかりではないのです。お師匠様でも、善鸞様でも、内容こそ違え、それはそれはたまらないような深い悲しみを持っていられます。でも耐え忍んで生きていられます。死ぬのはいけません。どんなに苦しくても死ぬのはいけません。自殺は他殺よりも深い罪だとお師匠様がおっしゃいました。仏様からいただいたいのちに対して何よりも敬虔《けいけん》な心を持たねばいけません。火宅のこの世では生きる事は死ぬる事よりも苦しい場合はいくらもあります。そこを死なずに、耐え忍ぶ時に、信心ができるようになるとお師匠さまがおっしゃいました。
かえで 私のようなものでも信心ができるでしょうか。
唯円 できなくてどうしましょう。あなたのような純な人に。
かえで 私は学問も何も知りませんよ。
唯円 そのようなものは信心となんの関係もありません。悲しみと、愛とに感ずる心さえあればいいのです。
かえで 私はどうすればいいのでしょう。
唯円 あなたはお地蔵様に、かあさんの病気がなおるように願いましたね。なおりませんでしたね。あの時お地蔵様を恨みましたか。
かえで お恨み申しました。
唯円 その時仏様を恨まずに、このようにふしあわせなのも、私がいつか悪い事をした報いなのだ。けれど仏様は私を愛していてくださるのだ。そしてどこかで助けてくださるのだと信ずるのです。それが信心です。それはほんとうなのですからね。あの慈悲深いお師匠様がうそをおっしゃるはずはありません。
かえで 私のように人から卑しまれる、汚れた女でも仏様は助けてくださいましょうか。
唯円 助けてくださいますとも。どのような悪い人間でも赦《ゆる》して、助けてくださるのですもの。
かえで 私はうれしゅうございます。私はあなたとつき合うようになってから、美しい、善《よ》いものをだんだんと願い、また信じる事ができるようになって来ました。私はこれまで媚《こ》びることや、欺くことばかり見たり、聞いたりして来ました。愛というようなものはこの世には無いものとあきらめていました。それがこのごろは、私をつつむ愛の温《あたた》かさを待ち、望み、そして信じる事ができそうな気がしだしました。明るい光がどこからかさし込んで来るようなここちがしだしました。
唯円 あなたの周囲にいる人たちが悪かったのです。これからは、明るい美しい事を考えるようにならねばいけません。
かえで あなたなどはしあわせね。毎日尊いお師匠様のおそばで清いお話を教えてもらったり、仏様の前でお経を読んだりなさるのね。私などの毎日している事はそれと比べてなんという醜い事でしょう。私はつくづくいやになってよ。
唯円 あのお師匠様のそばにいる事は心からしあわせと思います。けれどお寺の中は清い事ばかりはなく、また坊様にもいやな人はたくさんありますよ。お寺とか、坊様とかいう事はそんなにたいした事ではないのです。大切なのは信ずる心なのです。お師匠様から聞いた事は、皆私があなたに教えてあげますよ。またあなたをいつまでも、今の所には、私は決して置かぬ気です。
かえで ほんとに早くそうなれるような、よい分別を出してくださいな。そして私を善《よ》い女になれるように導いてくださいな。
唯円 そうしなくていいものですか。(肩をそびやかすようにする)
かえで 私はなんだかうれしくなって来まし
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