行こうよ。
丁稚二 でもおそくなるとまたしかられるよ。
丁稚一 私はくたびれたよ。
丁稚二 またゆうべのように居眠りするとやられるよ。
丁稚一 でも眠くてねむくてしょうがなかったのだよ。
丁稚二 ずいぶん暑いね。(手で汗をふく)
丁稚一 そんなに草履《ぞうり》をパタパタさせな。
丁稚二 たくさんな人だね。
丁稚一 皆お寺参りだよ。
丁稚二 見せ物の看板でも見て行こうか。
丁稚一 (ちょっと誘惑を感じたらしく立ち止まる)でもおそくなるとしかられるから早く行こうよ。(退場)
親鸞 世のさまざまな相《すがた》が見られるな。私は昔から通行人を見ているとさびしい気がしてな。
唯円 私もさっきからそのような気がしていたのです。
親鸞 ここでしばらくやすんで行こうか。
唯円 それがよろしゅうございます。(座ぶとんを持って来て敷く)きょうはよく晴れて比叡山《ひえいざん》があのようにはっきりと見えます。
親鸞 (すわる)あの山には今もたくさんな修行者がいるのだがな。
唯円 あなたも昔あの山に長くいらしたのですね。
親鸞 九つの時に初めて登山して、二十九の時に法然《ほうねん》様に会うまではたいていあの山で修行したのです。
唯円 そのころの事が思われましょうね。
親鸞 あのころの事は忘れられないね、若々しい精進《しょうじん》と憧憬《あこがれ》との間にまじめに一すじに煩悶《はんもん》したのだからな。森なかで静かに考えたり漁《あさ》るように経書を読んだりしたよ。また夕がたなど暮れて行く京の町をながめてあくがれるような寂しい思いもしたのだよ。
唯円 では私の年にはあの山にいらしたのですね。どのような気持ちで暮らしていられましたか。
親鸞 お前の年には私は不安な気持ちが次第に切迫して来た。苦しい時代だった。お経を読んでも読んでも私の心にしっくりとしないのだからな。それに私はその不安を心に収めて、まるで孤独で暮らさねばならなかった。
唯円 同じ年輩の若い修行者がたくさん近くにいられたのではないのですか。
親鸞 何百というほどいたよ。恐ろしい荒行をする猛勇な人や、夜の目も惜しんで研究する人や、また仙人《せんにん》のように清く身を保つ人やさまざまな人がいた。私もその人々のするような事をおくれずにした。ずいぶん思い切った行もした。しかし私の心のなかにはその人々には話されぬようなさびしさがあった。人生の愛
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