たび》はあかく血がにじみましてな。
良寛 京にいられた時には草鞋《わらじ》など召した事はなかったのでしょうからね。
慈円 いつもお駕籠《かご》でしたよ。おおぜいのお弟子《でし》がお供に付きましてね。お上《かみ》の御勘気で御流罪《ごるざい》にならせられてからこのかたの御辛苦というものは、とても言葉には尽くせぬほどでございます。
良寛 あなたはそのころから片時離れずお供あそばしていらっしゃるのですからね。
慈円 私は死ぬまでお師匠様に従います。京にいるころから受けたおんいつくしみを思えば私はどんなに苦しくても離れる気にはなられません。
良寛 ごもっともでございます。(間)私は比叡山《ひえいざん》と奈良《なら》の僧侶《そうりょ》たちが憎くなります。かほどの尊い聖人《しょうにん》様をなぜあしざまに讒訴《ざんそ》したのでございましょう。あのころの京での騒動のほども忍ばれます。
慈円 あのころの事を思えばたまらなくなります。偉いお弟子たちはあるいは打ち首、あるいは流罪になられました。どんなに多くの愛し合っている人々が別れ別れになった事でしょう。今でも私は忘れられませぬのはお師匠様が法然《ほうねん》様とお別れなされた時の事でございます。
良寛 さぞお嘆きなされた事でございましょうねえ。
慈円 それは深く愛し合っていられましたからね。お師匠様が小松谷の禅室にお暇乞《いとまご》いにいらした時法然様は文机《ふづくえ》の前にすわって念仏していられました。お師匠様は声をあげて御落涙なされましたよ。なにしろ土佐《とさ》の国と越後《えちご》の国ではとても再会のできないのは知れていますからね。それに法然聖人《ほうねんしょうにん》は八十に近い御老体ですもの。
良寛 法然様はなんと仰せになりましたか。(涙ぐむ)
慈円 親鸞よ。泣くな。ただ念仏を唱えて別れましょう。浄土できっと会いましょう。その時はお互いに美しい仏にしてもらっていましょう。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》とおっしゃいました。
良寛 それきりお別れなされたのでございますか。
慈円 忘れもせぬ承元元年三月十六日、京はちょうど花盛りでしたがね。同じ日に法然様は土佐へ向け、お師匠様は北国をさして御発足あそばしました。
良寛 法然様は今はどうしていらっしゃいますでしょう。
慈円 もうおかくれあそばしました。そのたよりのあったのは上野《こうずけ》の
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