ある人は、人のあしきことあらば、わが身のうえに受けてかなしみ、人のよきことあらば、わが身に受けてよろこび、なに事もわれ人へだてなく、あしかれとおもわず、人をそしらず、ねたまず、にくげ言わず、たよりなき人を、言葉のひとつもやわらかに、おとなしやかにひきたてて、少しのものもあいあいにほどこして、人をたすくるこころこそ、大慈大悲のきょうようにて候《そうら》え。(涙ぐむ)ほんとに涙がこぼれるような気がします。なんてお優しいおこころでございましょう。(つづけてよむ)いかなるちしき上人《しょうにん》、そのかみ、しゃか仏ほどのにょらいも、五体に身を受けたまえば、やまいのくるしみ、しょうろうびょうしとて、なくてかなわぬ物にて候《そうろう》。りんじゅうなどのことなどもことごとくしゃべつはなきものにて候。つねづね御こころがけさえふかく候わば、しなばしぬるまで、いきは生きるまでと打ちまかせてあるがよろしく候。せんねんまんねんいきても、一たびは老いたるも、若きも、しなでかなわぬものにて候。会者定離《えしゃじょうり》は人間の習いなれば、たれになごりか惜しき……(親鸞を見る)わたしもうよしましょうかしら。なんだかせつなくなって……
親鸞 (緊張している)さきをよんでくれ。終わりのところに臨終の心得がかいてあったはずじゃ。
勝信 (よみつづける)またこの世にいますこしすみたき、あらかなしや、いま死ぬかよなどとは、かまいてかまいておぼしめすな。(声をふるわす)死ぬることちかづくならば、かならず錯乱《しゃくらん》しては、だんまつの苦しみとて、五体はなればなれになり候えば、いかほど苦がのうてはかなわぬものなり。なんとくるしく候とも、そのくるしびに打ちまかせて、しなばしぬるまでと、なに心もなくゆうゆうとおぼしめしたもうべし。くれぐれこの御心もち、忘れたもうまじく候なり。源空。母上様。(手紙を巻き返しつつ)終わりのほうを読むのはあまりに恐ろしゅうございます。
親鸞 その母上へのお手紙は、そのまま私へおおせきけられるお師匠様のはげましのおことばのような気がする。もう時はせまって来た。わしが長いあいだ待っていた、けれどまたおそれていた時が。わしははげましの必要を感じる。わしはおそろしい不安と、それに打ちかとうとする心とのたたかいを感じている。
勝信 (不安をかくす)そのようなことがあっていいものですか。このよ
前へ
次へ
全138ページ中125ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング