たねならむ。ただ一すじに後の世のいとなみあるべし。この世はゆめのうち、とてもかくてもすぎゆけば、うきもつらきもむなしく、ただまぼろしの身のうえに、こぞやことし、きのうやきょうも、うつりかわれる世のなかはただ一《いっ》すいのゆめのうちには、よろこびさかえもあり、かなしび、あめ山なすこともあれども、さめぬればあとかたちもなきもの。あら。なにともなのうきよや。あら、いたずらごとどもや。あさましや……
親鸞 わしのように年が寄るとね、そのような気持ちがしみじみしてくるものだよ。九十年のながい間にわしのして来たさまざまのことがほんに夢のような気がする。花鳥風月の遊びも、雪の野路の巡礼も、恋のなやみやうれしさも、みんな遠くにうたかたのように消えてしまった。ほんとに「うきもつらきもむなしく」という気がするね。何もかもすぎてゆく。(独白のごとく)そうだ、すぎてしまったのだ。わしの人生は。さびしい墓場がわしを待っている。(勝信何か言いかけてやめる)さきを読んでおくれ。
勝信 (読みつづける)よもかりのよ。身もかりの身、すこしのあいだにむやくの事を思い、つみをつくり、りんね、もうしゅうの世に、二《ふた》たびかえりたもうまじく候《そうろう》。さきに申し候ごとく、さまざまに品こそかはれ、おしい、ほしい、いとおしい、かなしいと思うが、みなわがこころに候。こころというものはさらさらたいなきものにて候、それを思いつづくるほどに、しゅうしんとなりて、りんねする事にて候ほどに、ふっと心はなきものよ。心が鬼ともなりて身をせむるなれば心こそあだのかたきよ。凡夫《ぼんぶ》なればはらもたち、いつくしきものが、おしい、ほしいとおもう一念がおこるとも、二念をつがず、水にえをかくごとく、あらあさましやと、はらりと思い切り、なに心なくむねん、むそうにしておわし候わば、それこそまことの御心にて候《そうら》え…………
親鸞 そのあたりは清い、涼しい法然《ほうねん》様のおこころがよくあらわれている。(昔をおもうように)それは清らかなうつくしいお気質だったからね。わたしなどとちがって。その手紙は老体のお母上が御病気をなすって、いろいろと悲しいおたよりをなすった御返事なのだよ。
勝信 それでなぐさめたり、はげましたりあそばすのですね。ほんとに女のように、こまごまとしたお優しいお手紙ですのね。(よみつづける)まことのこころざし
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