のだ。愛は相手の運命を興味とする。恋は相手の運命をしあわせにするとは限らない。かえではお前をしあわせにしたか。お前は乱れて苦しんでいるな。そしてお前はかえでをしあわせにしたか?
唯円 (ある光景を思い浮かべる)おゝ。あわれなかえでさん!
親鸞 恋が互いの運命を傷つけないことはまれなのだ。恋が罪になるのはそのためだ。聖なる恋は恋人を隣人として愛せねばならない。慈悲で哀れまねばならない。仏様が衆生《しゅじょう》を見たもうような目で恋人に対せねばならない。自分のものと思わずに、一人の仏の子として、赤の他人として――
唯円 (叫ぶ)できません。とても私にはできません。
親鸞 そうだ。できないのだ。けれどしなくてはならないのだ!
唯円 (眩暈《めまい》を感ずる)あゝ、(額に手をあてる)互いに傷つけ合いながらも、慕わずにはいられないとは!
親鸞 それが人間の恋なのだ。
唯円 (独白のごとく)あゝ、いったいどうすればいいのだ。
親鸞 (しずかに)南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》だよ。(目をつむる)やはり祈るほかはないのだよ、おゝ仏さま、私があの女を傷つけませんように。あの女を愛するがゆえにとて、ほかの人々をそこないませんように。わたし自らを乱しませんように――
唯円 (手を合わせる)縁あらば二人を結びたまえ。
親鸞 おゝ。そのように祈ってくれ。そして心をつくしてその祈りを践《ふ》み行なおうと心がけよ。できるだけ――あとは仏さまが助けてくださるだろう。
唯円 (沈黙、だんだん感動高まり、ついにすすり泣く)
親鸞 お慈悲深い仏様に何事もまかせたてまつれ。何もかも知っていらっしゃるのだよ。お前のこころのせつなさも。悲しさもな。(祈る)おゝ、仏さま、まどかなおわりを、あわれなものの恋のために!
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第六幕
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場所 善法院御坊
時 第五幕より十五年後 秋
人物 親鸞《しんらん》 九十歳
善鸞《ぜんらん》(慈信房) 四十七歳
唯円《ゆいえん》 四十歳
勝信《しょうしん》(かえで) 三十一歳
利根《とね》(唯円の娘) 九歳
須磨《すま》(同) 七歳
専信《
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