る時|室《むろ》の宿《しゅく》にお泊まりあそばしたとき、一人の遊女が道をたずねて来たことがある。そのとき法然様はどんなにねんごろに法を説き聞かせなすったろう。その遊女は涙をこぼして喜んで帰った。またお釈迦《しゃか》様の一人のお弟子《でし》が遊女に恋慕されたことがあった。その時お釈迦様はその遊女を尼にしてしまわれたという話もある。仏縁というものは不思議なものだ。その遊女のためにも考えてやらねばならない。唯円と遊女との運命のために祈ってやらねばならない。皆してよく祈って考えてみましょう。よいかね。私はここではお前たちの側ばかり言うのだよ。唯円には唯円でよく諭《さと》しきかせます。これから、お前たちはここをさがって、唯円を呼んで来てくれないか。
僧一 かしこまりました。すぐに呼んで参りましょう。
僧二 私たちはよく祈って考えてみなくてはなりません。
僧三 では失礼いたします。お心を傷《いた》めて相すみませんでした。
親鸞 いいえ。よく聞き分けてくれてうれしく思います。
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僧三人退場。
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親鸞 (ため息をつく)いとしい弟子たち! みんなそれぞれの悩みを持っているのだ。だれを見てもあわれな気がする。(間)私のかつて通って来た道を、今は唯円が歩んでいる。おぼつかない足どりで。ため息をつきながら。(間)長く夢を見させてやりたい。だがどうせ醒《さ》めずにはおかないのだ。(縁さきに出る。重たそうに咲き満ちた桜の花を見る)よう咲いたなあ。(間。遠くのほうで静かに蛙《かえる》が鳴いている。考える)ほんに昔のむかしのことだ。(追想に沈む)
唯円 (登場。親鸞を見ると、ひざまずいて泣く)
親鸞 (そばに寄り背をたたく)唯円、泣くな。私はたいてい察している。きつくしかりはしない。お前が自分を責めているのを知っているから…………
唯円 私はかくしていました。たびたびお師匠様にうそを申しました。私はどうしましょう。どうでもしてください。どのような罰でも覚悟しています。それに相当しています。
親鸞 私はお前を裁く気はない。お前のために、お前の罪のために、とりなしの祈りを仏様にささげている。
唯円 私を責めてください。鞭打《むちう》ってください。
親鸞 仏さまはゆるしてくださるだろう。
唯円 すみません、すみま
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