しておやり、ゆるしておやり。
僧三 あの場合私たちが少しも怒らずにいられたろうか。あの傲慢《ごうまん》とあのわがままと、そしてあの侮辱を――
親鸞 無理はないのだよ。だがそれはよくはなかった。どのような場合でも怒るのはいけない。お前たちは確かに少しも怒りを発せずにゆるすべきであったのだ。だがだれにそれができよう。ねがわくばその怒りに身を任すな。火をゆるがせにすればじきに広がる。目をつぶれ。目をつぶれ。向こうの善悪を裁くな。そしてただ「なむあみだぶつ」とのみ言え。
僧二 それはずいぶんつらいことでございます。
親鸞 つらいけれどいちばん尊いことなのだ。またいちばん慧《かしこ》いことなのだ。何事もなむあみだぶつだよ。(手を合わせて見せる)
僧一 やはり私が間違っていました。唯円殿はどのようにあろうとも、私としてはゆるすのがほんとうでした。いくら苦しくても。知らぬ間に我慢の角《つの》が出ていました。
親鸞 ゆるしてやっておくれ。
僧一 はい。(涙ぐむ)
僧二 私はもう何も申しません。
僧三 私もゆるします。
親鸞 それを聞いて私は安心した。皆ゆるし合って仲よく暮らすことだよ。人間は皆不幸なのだからな。皆墓場に行くのだからな。あの時ゆるしておけばよかったと後悔するようなことのないようにしておくことだよ。悪魔が悪いのだよ。人間は皆仏の子だ。悪魔は仏の子に隙《すき》を見ては呪《のろ》いの霊を吹きこむからな。それに打ちかつにはゆるしがあるばかりだ。裁きだすと限りがなくなる。祈ることだよ。心の平和が第一じゃ。
僧一 ほんにさようでございます。ののしったあとの心はさびしいものでございますね。私は腹を立てている時より、ゆるした今の心持ちが勝利のような気がいたします。
親鸞 そうとも。そうとも。人間の心にもし浄土のおもかげがあるならば、それはまさしくゆるした時の心の相《すがた》であろう。
僧二 して唯円殿をばどのように御処置あそばすつもりですか。
親鸞 唯円には私がよく申しきかせます。だがね、お前たちの心が解けた今だから言うのだが、お前たちの考えにも狭いところがあるようだよ。たとえば、かえでとやら申す遊女の運命のことをお前たちは考えてやったかね。ただ卑しい女と言って振り捨ててしまえばいいというわけのものではない。今度の出来事のうちでいちばん不幸な人間はその女だろう。法然《ほうねん》様があ
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