行天付き、折り返して1字下げ]
親鸞 お前たちのいうのはつまり唯円は悪人だから寺から出せというのだろう。私は悪人ならなおさら寺から出せないと思うのだ。私やお前たちの愛の守りのなかにいてさえ悪い唯円を、世の中の冷たい人の間に放ったらどうだろう。だんだん悪くなるばかりではないか。世の人を傷つけないだろうか。悪いということは初めから知れているのだよ。どこに悪くない人間がいる。皆悪いのだよ。ほかの事ならともかくも悪いからというのは理由にならない。少なくともこのお寺では。このお寺には悪人ばかりいるはずだ。この寺がほかの寺と違うのはそこではなかったか。仏様のお慈悲は罪人としての私たちの上に雨とふるのだ。みなよく知っているはずじゃ。あまり知りすぎて忘れるのじゃ。な。永蓮《ようれん》。お前とこの寺を初めて興したときの事を覚えているか。
僧一 よく覚えています。
親鸞 私はあのころの事が忘れられない。創立者の喜びで私たちの胸はふるえていたっけね。お前のおかげで道俗の喜捨は集まった。この地を卜《ぼく》したのもお前だった。
僧一 棟上《むねあ》げの日のうれしかったこと。
親鸞 あの時私とお前と仏様の前にひざまずいて五つの綱領を定めたね。その第一は何だった。
僧一 「私たちはあしき人間である」でございました。
親鸞 そのとおりだ。そして第二は?
僧一 「他人を裁かぬ」でございました。
親鸞 その綱領で今度のことも決めてくれ。善《よ》いとか悪いとかいうことはなかなか定められるものではない。それは仏様の知恵で初めてわかることだよ。親鸞は善悪の二字総じてもて存知せぬのじゃ。若い唯円が悪ければ仏様がお裁きなさるだろう。
僧一 (沈黙して首をたれる)
僧二 でもあまりの事でございます。
親鸞 裁かずに赦《ゆる》さねばいけないのだ。ちょうどお前が仏様にゆるしていただいているようにな。どのような悪を働きかけられても、それをゆるさねばならない。もし鬼が来てお前の子をお前の目の前でなぶり殺しにしたとしても、その鬼をゆるさねばならぬのじゃ。その鬼を呪《のろ》えばお前の罪になる。罪の価は死じゃ。いかなる小さな罪を犯しても魂は地獄に堕《お》ちねばならぬ。人に悪を働きかけることの悪いのは、その相手をも多くの場合ともに裁きにあずからせるからじゃ。お前は唯円を呪わなかったろうか。お前の魂は罪から自由であったろうか。ゆる
前へ
次へ
全138ページ中112ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング