ように情の温《あたた》かい人は少ないのだ。
唯円 あなたはほんとうにお会いなさらぬおつもりですか。
親鸞 うむ。周囲の人々の平和が乱れるでな。
唯円 では善鸞様はどうなるのでしょう。どんなにか失望なさいましょう。それよりもあのかたの迷っている魂はどうなるのでしょう。
親鸞 私がいちばん気にかけたのはそこなのだ。もし私でなくては善鸞の魂を救う事ができず、また私に救いうる力があるなら、私は他のいっさいの感情に瞑目《めいもく》してもあの子に会って説教するだろう。だが私にはあの子を摂取する力はない。助けるも助けぬも仏様の聖旨《みむね》にある事だ。私の計らいで自由にできる事ではない。あの子も一人の仏子であるからには仏様の守りの外に出てはいないはずだ。よもお見捨てはあるまいと思う。私に許される事はただ祈りばかりだ。私は会わずに朝夕あの子のために祈りましょう。おゝ仏さま、どうぞあの子を助けてやってくださいませと。愛は所詮《しょせん》念仏にならねばならない。念仏ばかりが真の末通りたる愛なのだ。あの子がいとしい時には、私は手を合わせて南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》を唱えようと思うのだ。お前もあの不幸な子のために祈ってやってくれ。
唯円 私も祈らせてもらいます。あゝ、しかし、なんというさびしいお心でございましょう。
親鸞 これが人間の恩愛の限りなのだ。
唯円 私はたまらなくなります。人生はあまりにさびし過ぎます。
親鸞 人生にはまだまださびしい事があるのだ。人は捨て難いものをも次第に失うてゆくのだ。私もきょうまでいかに多くのものを失うて来た事だろう。(独語のごとくに)あゝ、滅びるものは滅びよ。くずれるものはくずれよ。そして運命にこぼたれぬ確かなものだけ残ってくれ。私はそれをひしとつかんで墓場に行きたいのだ。(黙祷《もくとう》する)
唯円 あゝ、私はおそろしくなりました。
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[#地から4字上げ]――幕――
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    第四幕

      第一場

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黒谷墓地
無数の墓、石塔、地蔵尊等塁々として並んでいる。陰深き木立ちあり。ちょっとした草地、ところどころにばら、いちご等の灌木《かんぼく》の叢《くさむら》。道は叢の陰から、草地を経て木立ちの中にはいっている。
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人物 唯円《ゆいえん》 かえで 女の子、四人

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