春の午後 第三幕より一年後

唯円一人。木の株に腰を掛けている。
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唯円 春が来た。草や木の芽はまるで燃えるようだ。大地は日光を吸うて、ふくれるように柔らかになった。小鳥は楽しそうに鳴いている。数々の花のめでたいこと! 若い命のよろこびが私のからだからわいて出るような気がする。(立ち上がり、あちこち歩く)もう来そうなものだがな。(叢の陰を透かして見る)もしかすると都合が悪くて、出られなかったのではないかしら。私も内緒でやっと出て来たのだもの。(間)だんだんうそを言う事になれて行く。(立ち止まり考える。やがて急に生き生きとする)いいや、今、そんな事は考えられない。(歩き出す)気がいそいそしてとてもじっとしてはいられない。(歌い出す)春のはじめのおん喜びは、おんよろこびは、さわらびの萌《も》えいずるこころなりけり、きみがため、摘む衣の袖《そで》に、雪こそかかれ、わがころも手に……
かえで (灌木《かんぼく》の叢《くさむら》のかげより登場)唯円様、ただ今。お待ちあそばして?
唯円 えゝ。ずいぶん長く。
かえで (唯円のそばに寄る)私少し家《うち》の都合が悪かったものですから。でも急いで走るようにして来たのよ。(息をはずませている)
唯円 私はもしか出られないのではないかと気が気ではありませんでした。
かえで 出られないのを無理に出たのよ。でもあなたとあれほど堅くお約束しておいたのですもの、あなたを一人待ちぼけにすることはどうしたって私にはできなかったのだわ。けれどきょうは早く帰らないと悪いのよ。
唯円 来るとから帰る話をするのはよしてください。(かえでの顔を見る)どんなに会いたかったでしょう。
かえで (唯円に寄り添う)私も会いたくて、あいたくて。(涙ぐむ)
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両人ちょっと沈黙。
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唯円 ここにすわりましょう。(草をしいてすわる)
かえで (唯円と並んですわる)人に見られはしなくって。
唯円 めったに人は通りません。通ったっていいではありませんか。悪い事をするのではなし。
かえで でもきまりが悪いわ。
唯円 ずいぶん久しぶりのような気がします。この前|松《まつ》の家《や》の裏で別れてから何日目でしょう。
かえ
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