先の日本娘はどんな恋をしたか、も少し恋歌を回顧してみよう。
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言にいでて言はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞かへたりけり
思ふこと心やりかね出で来れば山をも川をも知らで来にけり
冬ごもり春の大野を焼く人は焼きたらぬかもわが心焼く
かくのみにありけるものを猪名川の奥を深めて吾が念へりける
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死ぬほどの恋も容易に口に出さず、逢いたくなっては夢遊病者のように山川を越え、思いに焦げては大野も燃えよ、忠実でもなかった人を自分の方では胸の奥底から思っていた……すべて緊きしまり、濃く、強く、思いこんでいる。
愛するというのも早ければ別れるのも軽く、少し待たせれば帰ってしまい、逢びきの間にも胸算用をし、たといだます分でもだまされはせぬ――こういった現代の娘気質のある側面は深く省みられねばならぬ。新しさ、聡明さとはそんなものではないはずだ。新しさとは今の日本の時代ではむしろ国ぶりに復帰することだ。恋から恋にうつるハリウッドのスターは賢くはない。むしろ愚かだ。何故なら恋の色彩は多様でもいのち[#「いのち」に傍点]と粋とは逸してしまうからだ。真に恋愛を味わうものとは恋のいのち[#「いのち」に傍点]と粋との中心に没入する者だ。そこでは鐘の音が鳴っている。それは宗教である。享楽ではない。
清姫の前には鐘があった。お七の前には火があった。そして橘媛の前には逆まく波があった。
恋愛の宝所はパセチックばかりではない。恋の灼熱が通って、徳の調和に――さらに湖のような英知と、青空のような静謐《せいひつ》とに向かって行くことは最も望ましい恋の上昇である。幾ら上って行ってもそのひろがりは詩と理想と光との世界である。平板な、散文の世界ではない。それがいのち[#「いのち」に傍点]というものの純粋持続の特徴である。箱のような家に住み、紡績ばかり著て生きても夢と、詩とは滅びることがない。それが精神生活、たましいの異境というものだ。
燃えるような恋をして、洗われる芋のように苦労して、しかも笛と琴とのように調和して、そしてしまいには、松に風の沿うように静かになる。それが恋愛の理想である。
ダンテを徳に導いた淑女ベアトリーチェ。ファウスト第二部の天上のグレーチヘン。
これらは不幸な、あるいは酬いられぬ恋であったとはいえ、恋を通して人間の霊魂の清めと高めとの雛型である。古くはあるが常に新しい――永遠の物語である。
恋には色濃い感覚と肉体と情緒とがなくてはならぬ。それは日本の娘の特色である。この点あの歌舞伎芝居に出る娘の伝統を失ってはならぬ。シックな、活動的な洋装の下にも決してこの伝統の保存と再現とを忘れるな、かわいた、平板な、冷たい石婦のような女になってはならぬ。生命の美と、匂いと、液汁とを失っては娘ではない。だが牢記せよ、感覚と肉体と情緒とを超越して高まろうとするあるものを欠いた恋は低卑である。このあるもの、霊の酵母がないと防腐剤がない肉のように、恋は臭いを発するようになる。情緒の過剰は品位を低くする。嬌態がすぎると春婦型に堕ちる。ワイニンゲルがいうように、女性はどうしても母型か春婦型かにわかれる。そして前にいったように、恋愛は娘が母となるための通路である。聖母にまで高まり、浄まらなければならない娘の恋が肉体と感覚をこえんとする要請を持っていなければならないのは当然である。この意味でプラトニックな要請を持っていないものは処女ではない。それが処女の魅力である。感覚と肉体とにいのち[#「いのち」に傍点]を吹きこむ秘密である。造化のたくみ[#「たくみ」に傍点]の微妙さにはただ随喜するよりない。
お河童にして、琴の爪函を抱えて通った童女が、やがて乙女となり、恋になやみ、妻となり、母となって、満ち足りて、ついには輝く銀髪となって、あの高砂の媼《おうな》と翁のように、安らかに、自然に、天命にゆだねて思うことなく静かにともに生きる――それは尊い明け暮れである。これをこそ浄福というのだ。
聖フランシスと聖クララの晩年の生活。
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男ひじりと女ひじりともに住みたまふみ山はあれか筑波こほしも
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二人の中に共通の道を持ち、事業を持ち、それによって燃え上る恋もまた美しい。ひとつに融け合う夫婦生活は尊い。ブース夫婦。ガンジー夫婦。リープクネヒト夫婦。孫文夫婦。乃木夫婦。木村重成夫婦。細川忠興夫婦。
高貴なもののために殉じた犠牲の死をもって、また互いにささげ合う夫婦の愛と誠を証し合った乃木夫婦の如きは日本の男女の鑑である。われらはこれを世界にほこりたい。
もしこれをしも軽んじ、もしくは不感性の娘があるとしたら、それはその化粧法の如く心まで欧化してしまった異邦人の娘である。もう祖国の娘ではない。国土
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