しかしただ教育的で厳しいだけで、ちっとも子どもを甘やかすというところのない母親は美しいものではない。そこには人情の機微がなければならぬ。ことに子どもの幼いときに、故意に、不自然に教育的なのはよくない。食卓でいちいち合掌させて食事をさせるというようなのは私は好まない。「おいたはおよし」と母親が叱っても、茶碗を引っくり返すくらいなところもないと母のなつかしみはつくまい。人間としての本質の要所要所で厳格でありたい。
 母としての女性の使命はこのほかにまた、「時代を産む母」としてのそれがあることを忘れてはならぬ。女性の天賦の霊性と直観力とで、歴史と社会との文化史的向上の方向を洞察して、時代をその方向に導くように、男子を促し、鞭韃し、また自ら立ってそのために奮闘するだけの覚悟がなくてはならぬ。その覚悟はまた自ら子どもをその時代を産むための努力に鼓吹する結果とならずにおかぬはずである。この時代を産む母としての使命については、これまでの日本の婦人は自覚が足りなかったといわねばならぬ。日本は今その内外の地位に一大飛躍を要求されているときであり、国の建てなおしをする劃期的時代を産む陣痛状態にあるのである。このときに際して、日本の婦人はその事業を男子のみに任せておくことなく、「時代を産む母」としての任務を自覚して立ち上らねばならないのである。
 最後に母性の愛は公のために犠牲を要求されねばならぬ。
 祖国の安危のために、世界の平和のために、人道と文明のために、たちがたき恩愛をたって、自分の子を供えものにせねばならぬ。マリアはキリストを、乃木夫人は二人の息子を、この要求のために犠牲にしたのだ。初めに出発した生物的、本能的愛と比較するとき、これは何という相異であろう。しかもこれはひとしく人間の母性愛の様相なのだ。後のものは高められた母性愛、道と法とに照らされたる母性愛である。そこに人間の尊貴さがある。愛のために孟子の母はわが子を鞭打ち、源信の母はわが子を出家せしめた。乃木夫人は戦場に、マリアは十字架へとわが子を行かしめたのも、われわれはこれを母性愛に対する義務の要求と見ずに、道と法とに高められ、照らされたる母性愛と見たい。それだけの負荷をあえて人間の精神、母なるものの霊性に課したいのである。永遠の母とはかかる母を呼ぶべきものであろう。
 ゴーリキーの小説『母』の中の母親や、拙作『布施太子の入山』の中の太子の母などは、この種の道と法とに高められ、照らされた、母性愛を描いたものである。
 私は数年前、『女性美の諸段階について』というエッセイを書いたことがあった。その中で私はあらゆる女性美の型を、その中に含まれている「善」の段階に比例して、下級のものから取り扱っていった。最低位に「継母」があり、「鬼女」「淫女」等がこれに次ぎ、「淑女」「貴婦人」「童女」「天女」等とさかのぼり、最高の段階に聖母が位した。そして種々の聖母像の中で、どの聖母が最も美しいかを定めようとして、ついにファン・エックの聖母と、デューラーの聖母とが残り、この二つのうちついにデューラーの聖母が最後にサーヴァイブしたのであった。
 ファン・エックの聖母は高貴な瓔珞《ようらく》をいただいているが子どもにはぐくませる乳房のふくらみなく、その手は細く、しなやかであるが、抱いてる子どもの重さにもたえそうにもない。これに反しデューラーのマリアは貧しい頭巾をかぶっているが乳房は健かにふくれ、その手はひびが切れてあれているがしっかりと子どもを抱くに足り、おしめ[#「おしめ」に傍点]の洗濯にもたえそうだ。子どもを育て得ぬファン・エックの聖母は如何に高貴で、美しくても「母」たるの資格がない。現実の人生においては、デューラーの聖母を選ぶべきである。すなわち、子どもを哺育し、その世話をする労務にたえ得る母、その手のあれ[#「あれ」に傍点]たるマリアでなくてはならぬ。何故なら愛は実践であり、心霊の清浄と高貴とは愛の実践によってのみ達せられるものだからである。
[#地から2字上げ](一九三四・一〇・三一)

     三 恋愛――結婚(上)

 恋愛は女性が母となるための門である。よき恋愛から入らずよい母となることはできぬ。女性は恋愛によって自分の産む子に遺伝し、感染させたいような諸特徴を持った男性を選ぶのである。この選択が無意識的になされるところに恋愛という本能のはたらきがあるのだ。しかしそれだからといって恋愛を母となるための手段と見るのはたりない。花は実を結ぶ手段ではあるが、実は花を咲かすための手段ともとれる。恋愛はやはり人生の開花であると見るべきだ。女性の造化から与えられているさまざまの霊能が恋愛の本能の開発する時期に同時に目をさまし、生き生きとあらわれてくる。美と力とそしてことに霊の憧憬が恋愛の感情ととも
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング