書を読んで終に書を離れるのが知識階級の真理探究の順路である。
 現代青年学生は盛んに、しかしながら賢明に書を読まねばならぬ。しかしながら最後には、人間教養の仕上げとしての人間完成のためには、一切の書物と思想とを否定せねばならぬものであることを牢記しておくべきものである。
 キリストのいうように「嬰児」の如くになり、法然の説く如くに、「一文不知の尼入道」となり、趙州の如くに「無」となるときにのみ、われわれは宇宙と一つに帰し、立命することができるのである。

     五 知性か啓示か

 今日この国の知識階級の前には知性か啓示かの問題がおかれている。知性主義は主として現在の文化指導者たちによってとなえられているものである。そして今のところ青年学生はこの知性主義を支持し、それが読書の方向を支配しているかに見える。
 われわれはインテリゼンスの階層である読書青年が今その旺盛な知識欲をもって、その知的胃腑を満たし、また思考力を操練せねばならないとき、知性の拡充よりもその揚棄を先きに説かんと欲するものではない。しかしながら知性そのものにもその階層がある。真理を把握するオルガンとしての知性は、直観
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