馬はあまりにおもしろく覚え候程に、いつまでも失ふまじく候。常陸の湯にひかせ候はんと思ひ候が、若し人にもとられ候はん、又その外いたはしく覚えば、上総の藻原の殿のもとに預け置き奉るべく候。知らぬ舎人をつけて候へば、をぼつかなく覚え候。(下略)」
 これが日蓮の書いた最後の消息であった。
 十月八日病|革《あらた》まるや、日昭、日朗以下六老僧をきめて懇ろに滅後の弘経を遺嘱し、同じく十八日朝日蓮自ら法華経を読誦し、長老日昭臨滅度時の鐘を撞《つ》けば、帰依の大衆これに和して、寿量品《しゅりょうぼん》の所に至って、寂然として、この偉大なたましいは、彼が一生待ち望んでいた仏陀の霊山に帰還した。そこでは並びなき法華経の護持者としての栄冠が彼を待っていることを門弟、檀那、帰依の大衆は信じて疑わず、声をうち揃えて、南無妙法蓮華経を高らかに唱題したのであった。

 毎年十月十八日の彼の命日には、私の住居にほど近き池上本門寺の御会式《おえしき》に、数十万の日蓮の信徒たちが万燈をかかげ、太鼓を打って方々から集まってくるのである。
 スピリットに憑《つ》かれたように、幾千の万燈は軒端を高々と大群衆に揺られて、後か
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