主義者として今日彼に共鳴するところの多い私が、私の目をもって見た日蓮の本質的性格と、特殊的相貌の把握とを、今の日本に生きつつある若き世代の青年たちに、活ける示唆と、役立つべき解釈とによって伝えたいと思うのである。
二 彼の問いと危機
日蓮は太平洋の波洗う外房州の荒れたる漁村に生まれた。「日蓮は日本国東夷東条安房国海辺|旃陀羅《せんだら》が子也」と彼は書いている。今より七百十五年前、後堀川天皇の、承久四年二月十六日に、安房ノ国|長狭《ながさ》郡東条に貫名《ぬきな》重忠を父とし、梅菊を母として生まれ、幼名を善日麿とよんだ。
彼の父母は元は由緒ある武士だったのが、北条氏のため房州に謫せられ、落魄《らくはく》して漁民となったのだといわれているが、彼自身は「片海の石中《いそなか》の賤民が子」とか、「片海の海人《あま》が子也」とかいっている。ともかく彼が生まれ、育ったころには父母は漁民として「なりわい」を立てていたのだ。彼は幾度か父母につれられ、船に乗って荒海に出たに相違ない。彼の激しい性格の中には、ペテロのように、海風のいきおいが見られるのである。そこで彼はその幼時を大洋の日に
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