はこれを励まして、「この数年が間願いし事是なり。此の娑婆世界にして雉となりし時は鷹につかまれ、鼠となりし時は猫に※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]《くら》われ、或いは妻子に、敵に身を捨て、所領に命を失いし事大地微塵よりも多し。法華経の為には一度も失う事なし。されば日蓮貧道の身と生まれて、父母の孝養心に足らず、国恩を報ずべき力なし。今度頸を法華経に奉って、その功徳を父母に回向し、其の余をば弟子檀那等にはぶくべし」
といった、また左衛ノ尉の悲嘆に乱れるのを叱って、
「不覚の殿原かな。是程の喜びをば笑えかし。……各々思い切り給え。此身を法華経にかうるは石にこがねをかえ、糞に米をかうるなり」
かくて濤声高き竜ノ口の海辺に着いて、まさに頸刎ねられんとした際、異様の光りものがして、刑吏たちのまどうところに、助命の急使が鎌倉から来て、急に佐渡へ遠流ということになった。
文永八年十月十日相模の依智《えち》を発って、佐渡の配所に向かった日蓮は、十八日を経て、佐渡に着き、鎌倉の土籠に入れられてる弟子の日朗へ消息している。
「十二[#「十二」はママ]月二十八日に佐渡へ着きぬ。十一月一日に六郎左衛
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