してすでに結婚後の壮年期に達したるものの恋愛論は、もはや恋愛とは呼べない情事的、享楽的漁色的材料から帰納されたものが多いのであって、青年学生の恋愛観にとっては眉に唾すべきものである。
結婚後の壮年が女性を見る目は呪われているのだ。たとえば恋愛は未知の女性への好奇的欲望であるというような見方も、明らかに壮年の心理であって、結婚前の青年の恋愛心理ではない。実はそれは美的狩猟の心理なのだ。
恋愛には必ず相手への敬の意識がある。思慕と憧憬との精神的側面があり、誇張していえば、跪きたくなる感情がある。そして対象は単一的であって並列的ではない。美的狩猟はならべ描くことによって情緒をますのだ。
結婚前の青年、特に学窓にある青年にとって、恋愛とはまず精神的思慕であり、生命的憧憬でなければならぬ。美しい娘の中に自分の衷なる精神の花を皆投げこんで咲かせたものでなければならぬ。
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君が面輪《おもわ》の美しき見れば
花はみな君にぞある……
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これは中世イタリーの詩人の句片だ。
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愛《め》づらしと吾《あ》が思《も》ふきみは秋山の初
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