いのである。この相手の女性は美しいから、善いから、好都合だから私の妻なのではない。二人の恋愛の中に運命を見たから、二人は夫婦なのだ。
 もとより夫婦を結ぶ運命は恋愛を通してあらわれ、恋愛の心理は無意識選択のはたらきを媒介とする。しかし二人の結合を不可離的に感ぜしめる契機はこの選択になくして、かの運命にあるのだ。
 私のこのような信念からは、青年学生への、実際的に有益な、恋愛についての心得を導き出すことは困難である。実際的とか、有益とかいう観念からして、もはや厳しい真理から逸《そ》れたものだからだ。
 恋愛を一種の熱病と見て、解熱剤を用意して臨むことを教え、もしくは造化の神のいたずらと見てユーモラスに取り扱うという態度も、私の素質には不釣り合いのことであろう。
 かようにして浪曼的理想主義者としての私の、恋愛運命論を腹の底に持っての、多少生真面目な、青年学生諸君への助言のようなものができあがったのである。[#地から2字上げ](一九三七・四・二〇)

     参考書のたぐい

[#ここから2字下げ]
Platon : Symposion, Phaidros.
Dante : Vita n
前へ 次へ
全37ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング