しかし一生ただ一回の失った恋の思い出だけに生きるということは、人間の浪曼性くらいではまずないことだ。
摂理は別の恋愛を恵むものだ。そして今度は幸福にいく場合が多い。恋を失っても絶望することはない。必ず強く生きねばならぬ。
しかし今日の青年学生にそんな深い失恋の苦しみなどするものがあるものかという声が、どこからか聞こえてくるのはどうしたものだろう。
恋する力の浅くなることは青年の恥である。それはやがて、祖国にささげ、仕事にささげる力の弱さである。
誘惑
悪い方面をあげれば、肉慾狩猟や、「軽薄」のほかに「女たらし」と呼ばれる詐偽的情事がある。すなわち将来学士となるという優越条件を利用して、結婚を好餌として女性を誘惑することだ。これは人間として最も卑怯な、恥ずべき行為である。どんなことがあっても、これだけはやってはならない。これはもう品性の死である。こうした行為をする者が将来社会に出て何を企てるであろうか。そうした品性のものは社会で必ず破滅するものだ。末路は必ずよくない。社会は甘《あま》いものではないのである。
反対にその優越条件に目をつけて、青年学生を誘惑しよう
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