ダンス・ホール、ピクニック、――そうした場所で女友を拾い、女性の香気を僅かにすすって、深入りしようとも、結婚しようともせず、春の日を浮き浮きとスマートに過ごそうとするような青年学生、これは最もたのもしからぬ風景である。彼らが浮き浮きとでなく、憂鬱にそうしているならなおさらつまらない。彼らの若い胸には偉大にして、深刻なる思想は訪ずれないのであろうか。時代が憂鬱ならば時代を転換せんとの意欲は起こらないのか。社会革新の情熱や、民族的使命の自覚はどこにおき忘れたのであろう。反逆の意志さえなきにまさるのである。永遠の恋、死に打ちかつ抱擁、そうしたイデーはもう「この春の流行」ではないとでも思っているのであろうか。
 ヤンガー・ゼネレーションのこうした気風は私を嘆かしめる。私は彼らに時代の熱風が吹かんことを望まずにはおられぬ。

       失恋の場合

 こちらで思う人が自分を思ってくれない場合、いわゆる片恋《かたこい》の場合にもいろいろある。胸の思いはいや増してもどうしてもうまくいかないことがある。原則としては恋愛というものは先方に気がなければ引き退るべきはずのものだ。しかし相手の娘の愛がまだ
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