理拠があるであろうか。また本人の一生の幸福から見て、そうすることが損失であろうか。私は経験から考えてそうは思われない。女を知[#「知」に傍点]ることは青春の毒薬である。童貞が去るとともに青春は去るというも過言ではない。一度女を知[#「知」に傍点]った青年は娘に対して、至醇なる憧憬を発し得ない。その青春の夢はもはや浄らかであり得ない。肉体的快楽をたましいから独立に心に表象するという実に悲しむべき習癖をつけられるのだ。性交を伴わぬ異性との恋愛は、如何にたましいの高揚があっても、酒なくして佳肴に向かう飲酒家の如くに、もはや喜びを感じられなくなる。いかに高貴な、楚々たる女性に対してもまじりなき憧憬が感じられなくなる。そしてさらに不幸なことには、このことは人生一般の事象を見る目の純真性を曇らすのだ。快楽の独立性は必ず物的福利を、そして世間的権力を連想せしめずにはおかぬ。人間がそうした見方を持つにいたればもはや壮年であって、青春ではないのである。
 事実として青春の幸福はそこから去ってしまうのだ。如何に多くのイデアリストの憧憬に満ちたる青年が、このことからたちまち壮年の世俗的リアリズムに転落したこ
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