。それとともに人間生活の本能的刺激、生活資料としての感性的なるものの抜くべからざる要請の強さに打たれるであろう。この三つのものの正当なる権利の要求を、如何に全人として調和統合するかが結局倫理学の課題である。
三 文芸と倫理学
人生の悩みを持つ青年は多くその解決を求めて文芸に行く。解決は望まれぬまでも何か活きた悩みに触れてもらいたいために小説や、戯曲に行く。それはもとより当然である。文芸はこの生の具象的な事実をその肉づけと香気のままに表現するものだからだ。少なくともそこにはかわいた、煩鎖な概念的理窟や、腐儒的御用的講話や、すべて生の緑野から遊離した死骸のようなものはない。しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具象的描写を事とせねばならぬ故、人生全体としての指導原理の探究を目ざすことはできぬ。それ故一定の目的をもって文芸に向かうものにとっては、それは活きてはいるが低徊的である。それは行為の法則を与えようとしない。行為そのものを描く。ときとしては末梢的些末事と取り組んで飽くことを知らない。人生を全体として把握し、生活の原理と法則とを求めるものは倫理学に行くべきだ。これ
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