るもの』を持っている」といってるように、問いの中にすでにその事柄の本質が横たわっているのである。問いなくして倫理学の研究に着手することは無意味である。また問いこそその討究を真剣ならしめる推進機である。いかに問うかということ、その問い方の大いさ、深さ、強さ、細かさがやがてその解答のそれらを決定する条件である。故に倫理学の書をまだ一ページもひるがえさぬ先きに、倫理的な問いが研究者の胸裡にわだかまっていなければならぬ。そして実はその倫理的な問いたるや、すでに青年の胸を悩まし、圧しつけ、迷わしめているところの、活ける人生の実践的疑団でなくてはならないのだ。
 かくてこそ倫理学の書をひもどくや、自分の悩んでいる諸問題がそこに取り扱われ、解決を見出さんとして種々の視角と立場とより俎上にあげられているのを見て、人事ならぬ思いを抱くであろう。たといそれは充分には解決されず、諸説まちまちであり、また結論するところ自分を完くは満足させてくれなくとも、ともかくも自分の関心せずにおられぬ活きた人生の実践的問題がとりあげられ、巷間の常識ではそのままうち捨てられているのに、ここでは鋭い問いを発し熱心に討究されてい
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