た。初めは快、不快な結果を好悪する心から徳、不徳を好悪したのだが、広く連想をくりかえすうちに、直接に徳、不徳を好悪するようになった。これが道徳的感情である。行為の価値は永続する、そして不快を結果せぬ快楽、すなわち幸福を生ずるところにあり、社会の幸福をもたらす行為が善である。ロックも、ヒュームも、ミルも幸福主義である。利己的であれ、利他的であれ、個人であれ、社会であれ、ともかくも道徳の目的を福利においている点は同じである。これはいかにも常識的なイギリスに栄えそうな倫理学である。しかし幸福説は道徳的意識の深みと先験性とをどうしても説明し得ない。それは量的に拡がり得るが質的のインテンシチイにおいてはなはだ足らず、心奥の神秘を探究するのにいかにも竿が短かい。幸福主義は必ず結果主義と結びつき、動機を重んずる人格主義と対立するが、道徳的価値の中核が動機になくてはならぬのは当然なことであって、結果の連想から生じたるものなら道徳の名に価しない。また幸福説は敬の感情を説明し得ない。心の深い人は到底幸福説で満足できるものではない。これはアングロ・サクソンの倫理学である。ニイチェの如きは「最大多数の最大幸福
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