の人格価値を高めることが行為の目的である。快楽、幸福、福利は目的そのものとして追求せられるべきでない。これが人格主義の主張である。カントや、リップス、コーヘン等のカント学派も、フッサール、シェーラー、ハルトマン等の現象学派も人格主義の点では同じい。イギリスのトマス・グリーンの自我自現説もフィヒテをつぐ人格主義の系統である。彼によれば人間の目的は動物的有機体にもとづく快楽や、欲求を満足せしめることに存しない。人間の目的は神的意識の再現たる永久的自我を実現せしめることにある。社会を改善する目的も大衆に肉体的快楽、物的満足を与えるためではない。その各々の自我を実現せしめんがためである。
かような人格価値主義に対して幸福主義――自己の快楽の追求から社会の福利の増進にいたるまでの広汎な功利主義の倫理学が立つ。そのクライマックスはシヂウィックの「最大多数の最大幸福」の説である。幸福主義は初めは個人の感覚的快、不快から発祥する。ハートゥレイによれば道徳的情操は、他の高尚な諸感情とともに、感覚に伴う快、不快の念から連想作用によって発生したものである。彼は同情も、仁愛も利己的な快、不快の感から導き出し
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