してはならない、この世の悪を見ることの鋭くして正直なるものが、厭世観に留まらないならば必ず宗教心のなかに入るであろう。宗教的な人とはこの調和の信仰を捨てることのできない人のことである。絶対的の暗黒観を立てんとするある種の芸術家はきっと外道に立っているのに違いない。われらが闇を闇として安んずることができると誣《し》うるのはきっとみずから欺いているのである。われらはその本性上光を愛するものである。悉皆《しっかい》のものみな仏性を帯びているのに相違ない。われらは真にみずから欲するものを欲するといわなければならない。自己の本願を欺くものは外道である。ほとんどすべてのものを否定した勇猛なる親鸞もついに救いそのものを否定することはできなかった。これをしも否定するとき人間はもはや鬼である。すでに人間としての性質を失えるものである。年老ゆるごとにいよいよ深くこの世の悪を知り、しかもいよいよ高きところに光を求めた親鸞は真に人生の本道を歩んだものである。私は厭世観には直接な、きわめて実感的な同情を持つ者である。私自身悲苦の間に呻吟《しんぎん》しているのである。しかし私はあくまでも光を求めたい。救いを信じたい。それはわれらが生まれたるかぎり必ずなくてはならないはずのものである。
二 甘える心について
「人生にはさまざまの不調和がある。それを調和したい。けれど明日もし調和してしまったら変なものだ。やはり不調和のなかで苦しんで努力した方がいい」こういうことをいう人がある。しかし私はこれも本道ではないと思う。われらは調和が欲しいのだ。そして現在の禍悪《ユーベル》が堪えがたいのである。もし明日調和になればこれにこした福はないと思うべきである。事実においてはそう思っても、調和にならないから悲しいのである。そして努力は不断に続くのである。けれど不調和の方がいいと思うのは外道である。そう思われるのは現在の禍悪に対する悲哀がまだせっぱつまった厳粛なものでなく、そこにある表象的な要素があるからである。その要素がそのようなことをいわせるのである。これを運命に甘えた思想と私はいいたい。これに似た考え方はことごとく人性の本道ではない。たとえばたとい死後に地獄があって永遠の刑罰に与《あずか》ろうとも私は罪を悔いようとは思わない、というような思想も外道である。これは地獄の火の恐るべき苦痛に甘えている。ひっきょう地獄はないと思ってるからかくいえるのである。ヴィジョンとして地獄を見るほど道徳的なヨハネやダンテのような人はその火から免れる工夫をせずにはいられないであろう。罪から救われたい人はただひたすらに救われたいほかはないはずである。今夜救われればそれにこした祝福はない。事実において長く迷わねば確実な救いは得られないかもしれない。けれど永く迷いたい、そんなに早く救われたくはないと考えるのは外道である。それはその救いを求める心の真実でないことを証するにすぎない。恋をする人はただひたすらに恋のまどかに続くことを願うはずである。失恋した方が深刻になると考えるのは本道ではない。その恋は虚偽である。ただとこしえにと願う恋がしかも失われたときに、われらは深刻な人生の味を知ることができるのである。もし恋してるときに失恋の悲哀を求むるがごとき享楽的表象的気分の混入せる不純なる人ならば失恋の後も深刻な悲哀を経験することはできない。私は病気になりたい、こういう空想的なロマンチックな気分を描いてその楽しい空気のなかに甘く浸って生きてゆこうとする人を私はしばしば見る。しかし病気をたのしむことができるのはたかの知れた熱病のときぐらいなものである。存在を危くするがごとき重患はほとんど甘える余裕を与えぬほど厳粛に迫ってくる。そのような甘える思想ほどわれらの真実の生活の侵徹力を妨げるものはない。われらはローマンスではけっして安息できない。クープリンの『決闘』のなかでナザンスキーがロマショーフの死を止めて生のいかに愛着すべきであるかを語り、生のいかなるものをも、悲哀をも苦痛をも愛着すべきものとして説くところは私の強い注意を惹いたところである。けれどナザンスキーのかかる生活はただ生そのものに対する宗教的感情においてのみ可能であると思う。ある人はこれを、ルネッサンス以後しだいに高まってきてあのベルレーヌやボードレールを産出せしめたところのイースセティシズムの絶対的享楽境であるというが、私はしか信ずることはできない。イースセティシズムにはある限りがある。享楽主義の成立することができない所以《ゆえん》は人生には享楽できないある種類の苦痛があるからである。すなわち道徳的苦痛はけっして享楽できないのである。罪の意識そのものはけっして享楽できない。罪を罪として享楽することができないために人間には救いが要るのである。罪の苦痛の烈しいモーラリストにとって享楽主義ほど不合理な生活法はない。なんとなれば彼らは深く深く生きてもはや彼らの生活の最大関心は罪の問題に集注するところまできた。そして享楽したくても不可能な切迫した内容ばかりで生きているからである。親鸞聖人の信仰を見よ。彼はいかに罪より救われたさにあせっているか。一刻も早くどのようなことをしてでも、この罪の苦痛から逃れたかったかが察せられる。「たとひすかされてゐるのでも仏の本願を信じ参らす」といい「ただ善き人の教へを聞いて信ずるより別に仔細はない」といいほとんど無理にでも一握の藁《わら》にしがみついてるほどにさえ見ゆる。ただ一条《ひとすじ》に助けられたかったのである。苦痛や悲哀や不調和や罪そのものを選ぼうとする心は甘いでき心である。人生の外道である。運命を直視せよ。脅かさるるがごとく救いを求めよ。まっすぐに完全と祝福にあくがれよ。かくてもなおその願いのたやすく達せられざるがゆえにこそわれらの生活は苦痛にみつるのである。そしてかかる苦痛こそ「尊い苦痛」である。厳粛なる苦痛は求めずして来るべきものである。
三 皮肉について
かつて中央公論が文壇の諸家に「明治以来最も偉大なりと感ずる人および作物について」の意見を募ったときに多くの人々はそれぞれその思うところの作物と人物とをあげていたなかに私の特別注意を惹いたのはM氏の答えであった。氏は曰《いわ》く「私は人間に対して偉大なりとの感情を起こすことのできないものである。かく思うだに滑稽《こっけい》である」と。私はこの言葉が強く胸に響いた。二重の意味において。一つは氏の感じに対する強き同感と、そして一つは烈しき反感とであった。いうまでもなく私は字句の末を捕えて論ずるのではなく、この文章を通じて現わるる氏の心持ちについて論ずるのである。私は氏が人間に対して偉大なりとの感じを持つことができないという心持ちに一種の同感を感ずることを禁じ得ない。人々は偉大という言を人間に対してあまりに惜し気もなく用いすぎるように見える。われらはその外面的事業の光彩に眩《くら》まされてはならない。その人の生の歩みとその生涯を通して現われたる、もっと適切にいえば生きられたる真理に目をつけねばならない。すなわちその人によって得られたる「徳《ツーゲント》」を見なければならない。偉大なりとの称号はただ聖人に対してのみ与えらるべきものである。ある種の才能の優越がいかに驚くべきものがあろうとも、この人と聖人とは厳格に区別されねばならない。世には才能に向かって崇拝しようとする人々があるが、私はかの英雄や天才をただ as such に崇拝する気にはなれないものである。もし聖人といわるべきほどの者がいるとすれば、私ははじめてその人を偉大なる人間とほめよう。けれど、はたして人間に(ことに今の世に)聖人と呼ばるるに価するものがいるであろうか。M氏はいないと思うのであろう。私はその点については口を緘《ふさ》ぐ。しかし見回す限りにおいて人間はあまりに小さく醜い。人間はいかに大きく見えても人間としての卑しさと弱さと醜さをもっている。業報によって生死の世界に生まれ出でたるものとしての制限を持っている。仏を憶念するに馴れたる心を持って人間に対するとき、ことにその醜さが際立って見える。しかもその醜き人が誇り顔に、自己の偉大を衒《てら》うがごとくにしてわれらの前に立つときにわれらは一種の皮肉なる感情を挑発さるる誘惑を感ずることを禁じ得ない。しかし私はその誘惑に身を任せてはならないと思う。そこに微妙なる、しかしながらきわめて重要なる本道と外道との分岐点があると思う。私は事物の真相を見るに鋭利にして鍛練されたる目を有する人が、皮肉に傾く過程には無限の同情を表わしはする。私自身も絶えずその誘惑を感ずるのである。しかし私はM氏の「かく思うだに滑稽である」という一句に深い遺憾を感ぜずにはいられない。(一種の同感を持ちながら)ここに氏の生活と作物とを私にとってきわめて不満足なる今日の状態に導きたる外道がある。私はかつて熱心なるキリスト者として洗礼を受けた氏のことを思うときに、一度はその若き心を領したる霊感の(氏はその経験に対しても皮肉な感を持っているのであろうが)迷行したことを不幸に思う。われらの心を真直にせよ。何ゆえに人間に対して偉大なりとの感を起こす能わざることが滑稽であるか。この悲しくして、痛ましく、また羞かしき事実が! われらの親は餓鬼《がき》のごとく貪欲に、われらの友は狐《きつね》のごとく奸譎《かんきつ》に、しこうしておのれみずからは猿のごとくに婬乱なることのこの不幸なる自覚が! ただ悲しと思うべきである。むしろ恐ろしとさえ! しこうしてわれらの現実はかく醜くとも、われらの想像力が描き得るところのかの瓔珞《ようらく》を頂ける聖き人の像を仰ぐべきである。みずからその像に似んことを願うべきである。宗教はその願いの成就すべしとの約束(心証)である(私の考えでは彼《か》の世において)。それは夢であろうか? 親鸞はその夢を追うて九十歳まで遑々として生きたのであろうか。M氏は三十にしてすでにそれを捨てたのに! 私はここでもまた口を緘ぐ。なんとなれば私の心証はそれが夢でないことを宣言するほどいまだ熟していないから。しかし宗教的感情は若さや、世相に対する鈍感や、頭脳の簡単なることなどによってわずかにその情熱を支持さるるがごときものではけっしてない。ある人々にとってはそはじつにたとえば食欲のごとく稟在的なものである。われらは年老いて世相を見ることいよいよ複雑に、悪を知ることますます鋭く、しかも多くの不幸に打たれ、なおかつ、いよいよ深き情熱を示したる宗教的先人をわれらの祖先に持っている。近代もまたトルストイのごとき人を持っている。われらの人生を見る目はただあくまでも濡れ輝かねばならない。人生の真景はかかる眸《ひとみ》にのみ映ずるのである。皮肉な目には真実相は映らない。皮肉になるときわれらの心はもはや「徳」の中に成長を止める。しかし皮肉になりたくてもならぬとき、あくまでも真直に濡れて悲しんで人生を見る人はぐっと進んで行く。皮肉はなんら積極的意義のない自殺的情緒である。耶蘇は人間の醜さや、偽善を知り抜いていた。けれど彼はそれに対して皮肉にはならなかった。ただそれを悲しみ、人間の「徳」を完成せしむべき道を工夫しようと努めた。他人に対してことにみずからに対して皮肉になってはならない。私は自分の醜さを平気で何の痛ましげもなく告白する人は真面目な告白者とは思えない。トルストイもコンフェッションを書くまでには幾度も躊躇した。みずからに対して皮肉になることは最も性質の悪いいわゆる Unpardonable sin ともいうべきものである。私はかかる問題を考えるとき、ある一つの深き宗教的罪悪というごときものの観念に導かれる。そして人間の運命には人間の私有物ではなく仏の分身なるがゆえに自己の生命に対する義務意識があるのではあるまいかというごときことが考えらるる。自殺したり、自己を呪《のろ》うたりすることはあるおのれならぬものを犯すのではあるまいか。私は皮肉を最も嫌うものである。私の尊ぶトルストイやド
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