熕Mじ切ったような目つきをして眺めながら、身を任せているときに、誰がそれを欺くことができよう」といっています。心の清いあなたはじきに信じました。そしてそれには相当しないと私がたびたびいうにもかかわらず、日ならずして私を崇拝するようになりました。私はあなたの前にいるときには、あなたの Virtue のために、私の善い素質のみが働くのですから、あなたが私を尊敬するようになったのは無理もないと思います。そしてあなたは一すじの女心から、昨日のような手紙をくださったのでした。私はそれを読んで涙がこぼれました。
 信じやすい、明るい、善い心、それに愛を求める女らしい、純真な人間性がありがたかったからです。けれど私はすぐに強く思い決めました。私は神を畏《おそ》れねばならない! と。私はこの前の夜、あなたにあのような話をしなければよかったと後悔しました。実際私はなるべくめったにいうまいとは常々覚悟していたのです。けれど私の脆《もろ》い心と、そしてことにはあなたの受けとりやすい、熱心な心に触れて、私は訴える心地に久しぶりになりました。そうです。久しぶりです。私はただ与えよう、けれどけっして訴えまいと Motto を決めていたのですから。けれど一度口をきると私は何もかも申しました。後には激昂して、恨みも、怒りも、かなしみも、――ああ私はこの三年間の私のふしあわせとそして今の淋しい境遇にある自分の姿を思うときに、それがみなあの私を捨てた女ひとりのせいであるかのように感じられました。そして私はなんという愚かでしょう。それをあなたに向けて訴えるとは! 私はセンチメンタルになってしまってあなたの手のなかに泣きました。――それが不謹慎だったのです。純な、信じやすい、やさしい女に、自分を崇拝しかけている女に、失恋の話をする、――そのようなことが、慎み深い人のすることでないくらいなことは、十分に知っていたのでしたのに、私はそれをいたしました。そしてあなたは私に恋心を起こしました。お絹さん、どうぞ赦してください。私はけっしてミスチーヴァスな心で(このような心持ちはあなたにはいっても解《わか》らないかもしれません)したのではありません。まったくあなたがあまりおやさしく、私があの夜はセンチメンタルになっていたので、あなたに私の不幸を訴えたのでした。恋になってはならないと私はつねに注意していたのに、そのために、くどいほど隣人の愛のみ真の愛であることを、あなたにあれほど話したのに。私は昨日は眠らずに考え明かしました。あの霜の白く置いている冷たい草の上で私の病気の早く癒えるようにと、その昔あのラザロを蘇《よみがえ》らしたまいしキリストに熱い祈りを捧げてくださったと聞いて私は深く動かされずにいられません。なんといって感謝したらいいのでしょう。けれども私はもはや三年昔の私ではありません。私は私の発情に溺《おぼ》れてはなりません。私は今あなたの運命を傷つけないように、知恵のはたらきを呼び起こさなくてはならないときであると信じます。
 私はけっしてあなたが嫌ではありません。けれども私は恋というものを(たびたび申し上げたように)あまりこのましく思わないようになっているのです。美しい恋を仕遂げることはなかなかたやすいことではありません。恋は特別に悪魔に嫉《ねた》まれます。悪魔はそのなかに陥穽《かんせい》をつくります。そしてもはや二人の間に平和や明るい喜びはなくなってしまうものです。
 恋というものはあなたの心に描いていらっしゃるような美しいものではありません。その上私にはご存じのごとく悪い病気があります。またもはや一たび一人の少女に情熱を捧げて、燃えのこりの灰殻のような心です。あなたは純潔な、その年になってまだ子供らしさのぬけないほど無邪気な心です。私とは似合いません。あなたはそれを知っての上でのことだとおっしゃいます。けれども私としてそれを平気で受け取ることはできかねます。あなたは私がさかしらに、人の心まで掩《おお》いかぶせるように、いってのけると思われるのはまことにごもっともです。聖書のなかにもあるごとく、神の※[#「耒+禺」、第3水準1−90−38]《まぐ》わせたもう男と女との間にのみ全き恋は成就いたします。あなたはいつまでもかわらず私を恋するとおっしゃいます。あなたはそう信じなさいます。それはけっして無理ではありません。むしろあなたがまじめな熱心な人だからです。けれどもそれはけっしてまだたしかとはいえません。神の聖旨でないならばいつかは消えてゆきます。三年前私はあなたのとおりの心持ちになりました。そしてまじめな、純な、おさない恋人のいつもするように、天を指し、地を指して、幾度とこしえにと誓ったことでしょう。けれどもその誓いはついに空しくなってしまいました。あなたの心もまだ私は信ずることができません。あなたの美しい玉のごとき運命を私ゆえに傷つけさせてはなりません。私はどうせ永くは生きられない病身ものです。もし病気が伝染したらどうしましょう。そして私はかいしょ[#「かいしょ」に傍点]はなし、安らかな暮らし方のできる身分でもありません。あなたの考えていらっしゃるようなことはとても実行できる見込みはありません。あなたは私を憐《あわ》れみ愛してください。
 私はそれで満足です。それにあなたにこのようなことをいわれると私は苦痛です。もはや私のかなわぬこととあきらめていた運命が私の目の前に再び媚《こ》び戯れようとして、私はそれを打ち払うのに不安になります。私の忘れたい悲哀が蘇ってまいります。どうぞ後生ですからよしてください。そして安らかに、潤うた交わりをいつまで続けよう[#「いつまで続けよう」はママ]ではありませんか。その方がかえって善いコンスタントな、魂の騒がない、静平な交際ができます。あのいつもいう聖フランシスと、聖クララとのように清らかな交わりを一生の間続けたらどんなに幸福でいさぎよいでしょう。アシシの静かな森のなかで太陽は恵むがごとく照らす木のかげで、二人は神様に祈りつつ清く交わり、フランシスはクララの手に抱かれて死にました。あなたも私も悪魔に乗じられてはなりません。祈りましょう。二人の心の純潔と平和とがいつまでも失われませぬように!
 どうぞ今夜は安らかにお眠りなさい。

       二

 お絹さん、どうぞ何よりも心を安らかにしてください。私はあなたをこのようにも愛しているのですから。それは世の中の恋する男の単なるエンジューシアズムよりもずっと深い愛です。あなたがそのように心をみだしてお苦しみなすっては私はどうしたらいいのでしょう。あなたを失望させないために、私はどのようなことをしてもいいと思っているのです。
 ただただ神様は畏れねばなりません。私はただそれをいうのです。聖旨を待って謙遜な心を失ってくださるな。運命に甘えるものは必ず刑罪に報いられます。聡明《そうめい》なるお絹さん! 私の申すこの思想があなたに解《わか》らないはずはありません。私がなんであなたを嫌いましょう。あなたと私との間には素質と素質との好き合う力があるようです。二人の魂のなかの善い部分をお互いに発見することができます。私は心からあなたが好きです。また私があなたの身分と、私の身分との社会上の相違を気にかけていでもするかのように、あなたはあのようなことをおっしゃるのはどうしたものでしょう。
 私が一度でもそのような気持ちの影をでもあらわしたことがありますか? 私はあなたがお米を磨《と》いだり、着物を洗濯《せんたく》したりなさるのをまことにかいがいしく美しく感じています。そのようなことを気にかけてはいけません。私は働くことと愛することとを結びつけて考えます。純な、健康な、よく働く愛らしいお絹さん。あなたはまことに純潔で美しいです。複雑な荒《すさ》んだ人々の間にばかりくらしてきた私にはあなたが神の使のようにさえ見えます。あなたはそのままで清らかで完全です。もしこの世が天国のようなところなら、あなたは栄えを受くべきです。けれどもこの世では、あなたは蛇《へび》のごとき慧《さ》かしさのかけているために、私にはあぶなっかしく見えます。そしてそれゆえに私はますますあなたを傷つけてはなりません。あなたから初めてあのような手紙をもらったとき、私は心の奥に強い誘惑を感じました。(あなたは恐ろしいとは思いませんか。すべての男にはそのようなところがあるのです)。あなたを傷つけることはたやすいことです。私はけれど神の子です。今日まであなたにほしいままな表現をせずに神様を畏れてまいりました。あなたを重んじ、この後もそれを続けなくてはなりません。あなたが冷淡を感じるのは私がかえってあなたを愛しているからです。あなたは今はそれがわからないのです。お絹さん。私はあなたに知恵をつけることはじつは好まないのです。悪に対して備えるためにばかり必要な知恵を得ることはむしろやむをえないかなしいことです。私は信じる人に、信じるなとすすめるようなものです。あなたはほんとに今のままで善いのです。この世が悪いからしかたがないのです。けれどあなたはどうせ知らなければならないことは、知らなければならないのです。
 顔の赤くなるほど羞《はず》かしいことや、また生きていることがいやになるほど卑しいことや、まだまださまざまの Evil を!
 おお神様があなたをお守りくださいますように! けれど私は深く考えなければなりません。あなたのお手紙のお言葉は強く私の胸に響きました。私ははげしく省みさせられました。私にはそのような癖があるのです。説教したがる癖が。私は神様に祈っていろいろ考えてみました。そしてもはやあなたの心の芽の発育に干渉することは避けた方がいいと思うようになりました。神様はあなたの心をどのような仕方で育てたもうご計画かわかりません。もしあなたの心に恋が生じたことが聖旨であるならば、それを私が萎《しぼ》ませようとすることは不謙遜でしょう。人間の純なやさしい心の芽を乾らばしてはなりません。第一私はあなたの髪の毛一すじでも黒くしあるいは白くする力はない。あなたを見ていればあぶなっかしい気はする。けれど私が守ってあげなければあなたが亡びるかのように思うのは私の傲慢でしょう。あなたは神様を信じていつも熱心に祈っていらっしゃる。私はあなたを神様の手に渡すべきです。私は間違っていました。けれど悪く思ってくださいますな。私のしたことは私の知恵の足らないためです。あなたは私にかまわずあなたの感情の発育を自由にのばしていってください。向日葵《ひまわり》が日の光の方に延びて成長してゆくように、神様のめぐみの導きの方へむかってお進みなさい。私はあなたの愛をもみ消そうとはもはやいたしません。それはあなたのものです。そのなかにあなたが尊いいのち[#「いのち」に傍点]を感じなさいますならば、それはあなたの宝です。私はそれに干渉するのは傲慢でしょう。けれど思えば私は自信がなさすぎます。私は自分の清くない、徳の足りないことを思うときには、むしろあなたを神様に任して、私はあなたに別れてしまおうかと思うことも一度や二度ではないのです。けれど一度運命が触れ合うてこれほどの交わりになったものをアーチフィシアルに蹂躙《じゅうりん》するのは最も悪いことと思われます。一度触れ合うた人間と人間とはたといいかに嫌い合っても、絶交してはならないとさえ常に思っているのです。私はあなたにそのように思われるのはいやどころではありません。感謝と涙とです。私も私の心のなかに頭をもたげる心の芽をいたずらにみずから蹂躙するいわれもないのです。純な、人間らしい善い芽はのばさなければなりません。あなたに卑しいことを知らせずにすませるために私はあなたをずるい男の手に渡さずに、私のそばに置きたい気さえ起こることもときどきあるのです。知らないうちはともかくも、純な美しいものがみすみす荒くれ男にふみにじられるのを見のがすことは堪えがたい苦痛です。
 けれどいかなる場合でも私たちは神様を畏れなければなりません。それには二種
前へ 次へ
全40ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング