驕B助けてやりたい、あの女は間違っている、正しくしてやりたい。かくのごとき要求は、他人の生活に侵入してゆきがちな傾向を帯びるがゆえに、個人主義の主として支配している今の社会では、ことにしばしばおせっかい[#「せっかい」に傍点]として排斥せられる。このゆえに、世の賢き人々は、ただ自己の生活を乱されぬように守りつつ、他人の生活には、なるべく触れないように努める。そして自分の態度をジャスチファイして曰く、「個性は多様である、自己の思想をもって他人を律してはならない。また自分は他人に影響するだけの自信を持たない」と。この考え方はじつにもっともである。しかし、多くの場合、この思想は愛の欠けている人の口実のように私にはみえる。なんとなればもし、今の世の人と人との孤立が、真に愛より発する働きかけたい心がこの謙虚な思想に批判さるるところに原因を持ってるものならば、その孤立は、もっとしみじみしたものになるはずだからである。孤立というものは、愛が深くて、しかも謙遜な心と心との間においては、むしろ人と人とが繋り合うのに最もふさわしき要件である。今の世の人間同士の孤立は、一つはその掲ぐる口実と正反対に傲慢と、そして何よりも愛の欠乏からきているのである。すなわち他人に働きかけようとせず、他人を受けいれようとしないかたくなな心が、その最大因をなしている。もし愛の深い、ヒューメンな心ならば、一方は、先きに述べしごとく、祈りとなるまでに謙遜になるとともに、一方は、おせっかいなほど働きかけたくなるであろう。人に働きかけたい心は善い、純なねがいである。この心が受け取りやすいモデストな心に出遭うときには、どんなになめらかな交わりになることだろう。自己を知らざるほしいままなる働きかける心は、他人を侵し傷つけるけれども、その心が祈りの心持ちによって深められるときには、もっとも望ましきはたらきをつくる。祈りの心持ちは、単に密室において神と交わる神秘的経験ではなく、その心持ちのなかには、切実な実行的意識が含まれている。いな、むしろ祈祷は実践的意識の醗酵、分泌した精のごときものである。今ここにある人の心に愛が訪れるとする。その愛がいまだ表象的なものに止まる間は、けっして祈りにはならない。しかし、その愛が他人の運命を実際に動かしたい意志となり、そしてその意志がそれに対抗する運命の威力を知り、しかもその運命に打ち克《か》って意志を貫こうとするときに、祈りの心持ちとなるのである。ゆえに、その心持ちは、しばしばたたかいの心持ちと酷似している。キリストのごとき宗教的天才においては、その愛は常にたたかいの相を呈している。そしてその闘いは、祈りによって義《ただ》しくされている。けだし、私たちは愛を実現しようと思えば、必ず真理の問題に触れてくる。深く考えてみれば、愛とは他人をして人間としての真理に従わしめようとすることのほかにはない。ゆえに愛を実行せんとするときには、自己にとって真理なることは、他人にとっても真理であるとの信仰が必要である。真理を個性のなかに限定し、その普遍性を絶対に否定する人は、他人に愛を実行する地盤はない。「われかく信ず、ゆえに他人もしか信ぜざるべからず」との信念ある範囲においてのみ、他人に働きかけることができる。愛には人間としての当為が要る。宗教的天才はその Sollen を握れるがゆえに、堂々と愛を働きかけることができたのである。私は西田氏のごとく個性とは普遍性《ダス・アルゲマイネ》の限定せられたるものと考えたい。すなわち、個性の多様性は認めつつ、その後ろに人間としての普遍的真理の存在を容《ゆる》したい。この信仰なくしては、私たちは相互に繋り合うことはできない。事実においては、人間はいかに懐疑的なる人といえども、ある範囲においてこの普遍性を容して、他人に対して働きかけているのである。著しくいわば、真に徹底せる愛は、真理をしいることである。マホメットが剣をもって信じさせようとした心持ちには、愛の或る真理が含まれている。日蓮も愛のために、親にそむき、師にそむき、異宗と闘った。彼は『法華経』を信じなければ、親も師もことごとく地獄に堕《お》つると信じたからである。私は聖書などの思想に養われて謙遜と赦《ゆる》しを学んでから、他人をあるがままにいれてその非を責めないようになりだした。初めは「私は愛がないのだから責める資格はない」と、自省して沈黙するようにしていたが、後には表面の交友を円滑にし、うるさい交渉を避ける自愛的な動機から、他人の軽薄、怠慢をも責めずに済ますようになりだした。かくなれば、他人に働きかけないことは一つの誘惑になる。愛するならば責めねばならない。それは赦《ゆる》さぬのとは違う。他人がいかなる悪事をなしても、それは赦さねばならない。しかしいかなる小さな罪も責めねばならない。宗教はこの二つの性質を兼ね備えたものである。キリストはいかなる罪をも赦した。しかし罪の価は死なりといった。罪の裁判はできるかぎり重くなくてはならない。そしてその重き罪は全く赦されねばならない。甲が乙を撲《なぐ》ったとする。このとき、そのくらいのことは小さなことだとして赦してはならない。人間が人間を撲ることはけっして小さなことではない。それは地獄に当たる罪である。しかしその大罪を全的に赦すのである。阿部氏は「私は人を愛したい。けれど憎むに堪える心でありたい」といってる。私もしか感ずる。もし私が私を愛するがごとく他人を愛しているならば、私みずからを憎むがごとくに他人を憎み得るであろう。愛は闘いを含み得る。純粋なる愛の動機より、他人と闘うことができるようになるならば、その愛はよほど徹した内容を持っている。
 現に宗教的天才はかかる闘いをなしている。キリストも、エルサレムの宮で鳩《はと》を売るもののつくえを倒し、繩《なわ》の鞭を持って商人を追放した。私は初めは、キリストのこの行為を善しと見ることができなかった。それは愛と赦《ゆる》しとの教えに適《かな》わないと思われたからである。しかし私はこの頃は、愛しつつ赦しつつ、かく為《な》すことができると思うようになりだした。おのれを釘づけるものを赦したキリストに、この商人が赦されないとは考えられない。愛はたたかいを含み得る強いものであってさしつかえはない。ただ私はそのたたかいが、他の一面において祈りの心持ちによって義《ただ》しくされることをねがう。
 けだし、私たちはゾルレンを掴《つか》むことにおいて自信のない愚人である。たたかいが愛のみの動機より発することのできかねるエゴイストである。他人の運命を思えば黙《もだ》しがたく、しかも働きかけることが、他人を益するとの自信を握りかぬる弱者である。「どうぞこの人を傷つけませぬように!」と祈る心持ちなくして、安んじて働きかけることはできかねるからである。たたかいと祈りとは、愛の二つの機能である。愛が実践的になるとき、必然に生み出される二つの姉妹感情である。そして相互を義しくする。哲学的絶対を求めて後に愛そうとするならば、私たちは祈ることも、戦うこともできない立往生になる。けれど、私は真理はだんだんに知られてゆくものと思う。もし愛のなかに実感的な善を体験して、それに圧されて愛しながら、しだいに真理を体得してゆこうとするならば、私たちはたたかいと祈りの心持ちのなかに入って行くであろう。そしてそれは、私にとっては、ようやく明らかになりゆく真理の姿である。
[#地から2字上げ](一九一五、冬)
[#改ページ]

 過失
    ――お絹さんへの手紙――

       一

 私は昨日の朝ガーゼ交換が終わって、激しい苦痛の去ったあとのやや安らかな、けれど、いつもの悲しい心地にとざされて、寝台の上にやすんでいました。
 そのときあなたの手紙がとどきました。私は不思議にもそれを読んで驚きませんでした。私の恐れているものがついにきたと思いました。
 そして私は心の奥でひそかにそれを待ち設けていたのではあるまいかと、思うときに、畏《おそ》ろしいような心地がいたしました。お絹さん私はあなたよりも分別があります。それは私が悲しい経験から得たありがたい分別です。あなたの心はよく解《わか》ります。けれどもあなたの手紙を読んだとき、私の胸の底には彼女の運命を傷つけてはならない。と叫ぶ強い声がありました。男というものはずるい[#「ずるい」に傍点]ものです。ことに女にかけてはね。私は清い人間ではありません。私は清かったのです。けれど女に欺《だま》されてから、いつしか女に対する心の清さを失いました。そして Dirne のような女を見ると、私はずるい男心を呼び起こされます。そしてそれを当然のことと思うように馴《な》らされそうですから、私は厳しく自分を叱《しか》りつけているのです。
 けれどあなたのような純な、まじめな、女らしい人にあえば、私の心の底の善い素質が呼び醒《さ》まされます。そうです! 私は気を注《つ》けねばなりません。あなたはどう思ってくださいます? 私はこのような手紙を書かせるようにあなたにしむけたのでしょうか。私はそうしてはならないと、いつもいつも思っていました。
 けれど私は神様が私を罪ありとなさっても争おうとは思いません。私は判断がつきかねます。もし私が悪いことをしたのなら、神様に赦《ゆる》しを乞わねばなりません。フランシスさんがあなたを見舞いに遣わしてくだすって、あなたとちかづきになってから、私はたしかに慰められました。そのときまで百余日の長い間、私はじつに侘《わび》しい、淋しい日を送っていたのでした。私は孤独というものを人間の純なる願いとは思いません。私は私の側に私の魂の愛する力が働きかけうる人を持たないときは不幸を感じます。私は愛したい、そして求むるものには私の持っているよき物を惜しまずに与えようと、常に用意しているのに、誰も一人として、私に求め訴えに来るものがありません。聖書のなかにも「童子|街《まち》に立ちて笛吹けども、人躍らず、悲歌すれども人和せず」と書いてあります。これは私にとってどんなに淋しいことであったでしょう。私は歩けないのですから他の室に友を求めることはできません。
 そして十数人もいる若い看護婦たちはなんという冷淡な、proffesional な人々でしょう。私はときどきに泣きたいような気がしました。三度も手術を受けて、そしてまだいつ療《なお》る見込みもつかない。私は怺《こら》えるには怺えます。けれども悲しいのはかなしい。
 私はドストエフスキー(私がよく話すあのロシアの小説家)の『死人の家』など読んでは心からこの不幸な人の淋しい孤独な生活に共鳴して、自分も泣いていました。
 そのときあなたが天の使のように私のベッドの側に来てくれました。あなたが後でおっしゃったように、私のいうことはあなたに吸い込まれるように、スラスラと理解されるように私にも思われました。私はあなたの魂のなかに善良な高尚な思想に感動することができる知恵と徳の芽を見いだしました。そしてあなたが学問が乏しいために(失礼ですけれど)それはかえって純な、ありのままの、素質的のものとして私には感ぜられました。
 そしてあなたは私のひそかに恃《たの》んでいる尊い部分に触れてくれました。私はまことに嬉しゅうございました。そして私のベッドの側にじっと坐《すわ》って注意深い耳を傾けているあなたに私の信ずる最も高き善き思想をできるだけ単純な、清い言葉で話しているときに、私はときとして私を善い人間であるかのように、まれには聖者であるかのように感ずることさえありました。
 私はあなたの熱心な祈りをきき、賛美歌を共にうたいました。これまで永い間私はあまり荒々しい人々のなかにのみ棲《す》みすぎたように思っていましたが、あなたと逢《あ》って私は鳩《はと》のような、小鳥のような――それは私の心にながくとざされていたところのやさしい情緒をふるさとのおとずれでも聞くように思い出しました。それほどあなたは純な人でした。ドストエフスキーは、「もしも鳩が私たちの顔をさ
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