髏リなる願いである。氏はその宗教論の冒頭に宗教的要求という一章を掲げて、宗教がいかに真摯《しんし》に生きんとする者のやみがたき要求であるかを述べて次のごとく言っている。

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 宗教的要求は自己の生命に就《つい》ての要求である。我々の自己が相対的にして有限なるを知ると共に、絶対無限なる力に合一し之《これ》に由《よ》りて永遠の真生命を得んと欲するの欲求である。パウロがも早《はや》我生けるにあらず、基督《キリスト》我に在《あ》りて生けるなりと言つたやうに、肉的生命の全部を十字架の上に釘《くぎづ》け終りて独《ひと》り神によりて生きんとするの情である。真正の宗教は意識中心の推移によりて、自己の変換、生命の革新を求めるの情である。世には往々|何故《なにゆゑ》に宗教は必要であるかなどと問ふ人がある。併《しか》しかくの如きは何故に生きる必要があるかと問ふと同様であつて、自己の生涯の不真面目なることを示すものである。真摯に生きんとする人は必ず熱烈なる宗教的要求を感ぜずには居られないのである。(善の研究――四の一)
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 宗教は氏の哲学の終局であり、根淵である
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